夢への軌跡_久しぶりに会話が噛み合わない

20161109_久しぶりに会話が嚙み合わない

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【久しぶりに会話が嚙み合わない】

おはようございます。

今日も、仙台からです。
今日は更に北上する予定です。
今週の仕事は、
『なぜか自分でも良い仕事をしているなぁ』
と極端に感じる月曜と火曜でした。

さて、今日のお題は、
【久しぶりに会話が嚙み合わない】です。
『良い仕事をしているなぁ』と感じる反面
全く噛み合わない面談がありました。

結果から言うと、『5分もかからず面談終了』でした。
私のいる業界では、Cという製品を販売するに当たり
Bという説明会が必要となります。
そのために、Aという基本事項を学ぶ勉強会を提供しています。

いきなり、Bから入ると、相手が身構えるということと
よほど、興味深々か、事前の勉強をしっかりとしている人や施設でなければ、理解できない可能性が高いのです。

従い、Aという基本事項を学ぶ勉強会をオファーし
『現在のスタンダードはこれです。』と伝えて
多くのスタッフに知識を提供することが必要になります。

とまぁ、本来の流れですね。
昨日、面談した方は、施設の偉い方だったのです。
面談中に
「勉強会を依頼したいんだけど、うちのスタンダードに
合わせておこなってください。」
と言われました。

私の頭の中は『???』でした。

事前に資料を提供して、お渡ししてあるので
こちらのスタンダードは業界のガイドラインに添って
内容を披露しているということは理解していたはずです。

私としては、
『こちらが行える勉強会は、お手元にある資料の通りです。
それぞれの施設のスタンダードは、業界のスタンダードと
かけ離れているので、個々に合わせることは出来ません。
また、嘘を勉強会に入れるわけには行かないので
そちらの内容の通りに行うことが必要であるのならば、
ご期待には添えず、お断りをせざるを得ません。』
と回答しました。

その偉い方は、「じゃぁ、依頼できないわね。」
『そうですね。難しいですね。』

という形になり、【No Deal】となりました。

面談しないと雰囲気はわかりませんから、
【時間のムダ】とまでは言いませんが、
電話でも済みそうな内容でした。

顧客との関係は、常に【Win-Win】
若しくは、【No Deal】でなければいけないですね。

20161109_kamiawanai

この件、地元のサポートチームのヘルプを借りていたのですが、
その担当の方も理解しておらず、
何をどのようにして、資料を渡したのかが、結局不明のままでした。

ムダではありませんが、
【久しぶりに会話が嚙み合わない】
ということを実感しました。(笑)

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。