夢への軌跡_エンパワーメントと待ったなし

20160906_エンパワーメントと待ったなし

【エンパワーメントと待ったなし】

おはようございます。

今日は火曜日ですね。
今日からまた出張族になる私です。

関東から青森まで、ちょっとドライブという距離では
ありませんが、真剣に顧客対応を行いたいと思います。

さて、今日のお題は、【エンパワーメントと待ったなし】です。
昨日、【インサイドアウト】について
リッツ・カールトンホテルを例にとって説明しましたが、
我が業界でも同様です。

医療と言う人の命を預かる製品を販売していると
どうしても、顧客目線で話をし過ぎてしまうことがあります。

顧客とは、病院と患者の二者がいます。

取り扱いについて十分な説明を行わないと
良い製品でも患者への負担が大きくなってしまうことがあります。

従い、私の考え方としては
「大きな顧客であるから重要視する」ということも考えながら
「人の命は平等である」と考えています。

営業である以上、数字を追いかけるのは必須ですが、
数字を追い求めるがあまり、医療事故が起きてはいけません。
ましてや、人の命を預かる ≪端くれ≫ としても。

業界では、取り扱い方法について【手技】と言います。
その【手技】をしっかり伝えて、安全に使用してもらうことが
私のお仕事となります。

では、【エンパワーメント】とは、Credoに従い、
顧客満足度を向上させる【統一性】となります。

瞬時に顧客の要望を理解し、それを Credo に基づき
顧客を満足させることを意味します。

利益を追い求めてしまうと、Credo と反することが多く発生します。
十分な注意が必要ですね。

また、しっかりとした Credo がある場合、指針となる目標ができますが、
Credo が明確に明示されていない場合、従業員は路頭に迷いますね。

でも、医療業界では、路頭に迷っている暇なし、
【待ったなし】なのです。
患者がそこで待っているからなのです。

Credo がその企業に存在していようがなかろうが、【待ったなし】です。

現場で、営業担当者が、自分にしっかりと問いかけ、
Credo に従っているかどうか確認し、また、今後を予想して行動します。
(残念ながら、私の所属する企業には、明確な Credo は存在しません。)

私も、昨日、同様事例に遭遇しました。
先週、ある関係者から、
「月曜日に患者が入るから、準備しておいてください。」
との連絡が入り、時間通りに訪問しました。

だいたい、このような場合、長居になることは想定内でしたので
次のアポイントを外し、長居に備えました。

14時に訪問、 「これから、入院なので説明会は15時から。」
15時に訪問、 「15分でとりあえず手技を教えて。」
終了後、「17時から、座学の説明会を行って。」
と、予想通りの結果となりました。

私はそこの施設に約4時間の缶詰となりました。
しかし、これで、そこの施設では、
手技に心配なく製品を使用してもらえることとなり、
施設内に安堵感が表れてきます。

Credo に従い、経験に基づいた予想は、【エンパワーメント】
そして、【待ったなし】の感覚は、顧客満足度を向上させるであろう
と実感しました。

終了後、関係者より、労いの言葉を頂戴しました。
「急なお願いだったのに、ありがとうございます。」
『いえいえ、現場が困らないように最善策を取ったまでです。』

毎日がこのようなお仕事であれば、うれしいですね。

20160730_balance

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。