夢への軌跡_退所は条件付き???

20190713_退所は条件付き???

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【退所は条件付き???】

 

おはようございます。

713日 土曜日です。

 

本当のお父さんの土曜日です。(笑)

 

日頃は、小粒ちゃん(ネーネ)の送迎で

平日と変わらない活動を行なっていますが、

小粒ちゃん(ネーネ)の学校は試験休みということで

お父さんも束の間の休息となります。

 

従い、今日は出なくて良さそうです。

家での仕事となるので

時間を有効に活用できますね。

 

今日の予定は、

庭の草取りと次女ミー(ミータ)の

トイレ掃除と水飲み場の掃除がメインとなります。

 

少し、やること満載リストから

どうしてもやらなければならないことだけに

絞ろうかなぁと考えています。

 

幸い空模様も日中は雨なしなので

しっかりと作業をしたいですね。

 

ちょっと体力的にしんどくなってきました。

色々な案件が、舞い込んでくるからですね。

(笑)

 

ということで、今日のお題は、

【退所は条件付き???】です。

 

私のお袋は施設に入所しています。

 

理由は入所時には、親父が入院を余儀なくされたので

一時的避難場所ということで

親父の主治医が気を利かせたようです。

 

しかし、ショートステイという名目となると

外来診察を行う場合、

その施設からの一時退所を余儀なくされます。

 

そして、3日後には、その施設に戻ります。

 

このような生活を3ヶ月以上行なっているのですね。

流石に、「家に帰りたい」という意識が強くなったので

お袋もかなり強く施設側に言ったようですが、

受け入れてもらえず、

 

更には、親父が手紙を書いて

主治医に確認するも、

「条件付き退所」となりました。

 

現在、親父は自宅で生活し

お袋は、施設で生活しています。

 

そこで、

 

「何が目的か?」 

 

が大きなテーマになりそうな内容です。

 

親父とお袋にしてみると

自宅に戻って、生活をしたいということが

表に立っていますが、

 

親父もお袋も自分から救急車を呼ぶほど

痛みに弱いのです。

 

ということは、

痛みに弱い患者同士が同じ家で

生活することに医療従事者としては、

難色を示しますよね。

 

医療従事者は、

施設内では、事故なく、怪我なく

そして、

危険を察知した場合、

監視の下での生活を推奨しますし、

強制します。

 

我が両親にしてみると強制されているようです。

 

一時退所にて自宅に戻れますが、

1週間、夫婦で生活して

双方ともに問題なければ、良いのですが、

その後、改めて入所が

視野に入れられているようです。

 

その件で、親父とお袋は揉めているようです。

ケアマネも間に入っているようですが、

どうにもならないようです。

 

医師としてみると致し方ないようですが、

お袋にしてみると、

「いじわる。」

「人の体を実験台にしている。」

と言います。

 

被害者であるので言い分は正しいのですが、

自分の生活を自分でできるようになってから

吠えて欲しいですね。

 

口ばかりが達者なお袋です。(笑)

 

条件付き退所については、

私も異議申し立てをする予定です。

 

オーバー80なので

やりたいようにやらせれば良いのですけど。。。

 

医療とビジネスが混同しているとも言えます。

(笑)

 

困ったもんですねぇ。

 

【退所は条件付き???】とは

命を同じように扱う医師が判断するのですね。

 

しかし、80を超えている老人に

QOLをあげないで生活することを強制する医師は、

ちょっと問題かも?

 

と考えています。 

     

何事も経験です。 

これも学びですねぇ。

 

人間、一人では生きていかれないのです。

自分に関わる全ての人に、

そして、身の回りの道具に、

更には、自分自身にも感謝です。

 

にゃんにゃん。。

 

今日は、土曜日です。

検証とデータ取りの日ですね。

 

パウエルさんの発言から大きな波が変わるのかなぁ

とも考えられますが、

データ上では、どうなのか?

客観的に考えてみたいと思います。

 

時間を有効活用したいですね。

 

エセアナリストですけど。。。(笑)

    

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

   

エセアナリストのお仕事です。(笑)

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夢への軌跡_FX_おじえん_相場環境認識_20190707

https://fukuyama-syo.com/archives/11732

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夢への軌跡_FX_どるえん_相場環境認識_20190707

https://fukuyama-syo.com/archives/11725

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

  

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

        

【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?無料です。

全国展開中です。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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福山 紫生(Syo Fukuyama

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。