夢への軌跡_少しは反応が。。。。

20240721_少しは反応が。。。。

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【少しは反応が。。。。】

 

7月21日 日曜日です。

 

おはようございます。

 

7月も終盤に入り

夏祭りが盛んに行われているようです。

義母さんも寄付という名目で

参加して、

大満足の町会お祭りとなります。

 

昨日、訪問した際に

義母さんのために購入していた

ジャージー牛乳アイスクリームを

義兄さんが食べていて

絶句しました。

 

買いに行かれない義母さんのために

冷凍庫へ入れていたはずなんですけどねぇ。

 

自分で動ける人は

自分で購入してもらうことを

期待します。(笑)

 

ちょっと

繊細さが足りないのかなぁ

と思った昨日でした。

 

入院132日目 出戻りICU 23日目 導尿再開16日目

ということで、今日のお題は、

【少しは反応が。。。。】

です。

 

かなり強い鎮静剤を投与されている

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は

自分が今いるところが理解できていないのかもしれません。

 

毎日の訪問のお母さん(監督)と私・お父さんだけでは

今後の展開に不安があるのかも?

と思うと何もできなくなります。

幸い、主治医は休みにもかかわらず、

土曜日の朝に

様子を確認してもらえ、

「大丈夫」

って言ってもらえたよ。

看護師さんに伝えて、

退室したようです。

 

本来であれば、

しっかりとお休みの週末となるのですが、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の主治医は

今のお仕事に労働という意識はないようです。

 

私・お父さんが見る限りでは

『確認と研究』

という言葉が当てはまるのかもしれませんし、

私・お父さんの圧力が強いのかもしれません。(笑)

患者家族の患者への愛情は

図りでは測れないほどの強さであると考えています。

 

その力の大きさを

主治医は察知したのかもしれないですね。

 

頼りにしています。

【少しは反応が。。。。】

とは、

じっくりと確認して、

『誰だかわかる?』

というと

発声はしないものの

「お父さん」

と回答できました。

 

嬉しいですね。

親子でのコミュニケーションが図れました。

 

今後は、鎮静剤からの離脱と

リハビリを行うことが最優先されます。

 

しかし、あらためて

元の木阿弥に戻る可能性も否定できず、

亀のような足取りでのリハビリを継続してもらいたいと

考えています。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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7月21日 日曜日です。

 

備忘録は完成しました。

しっかりと、

アップロードを行いたいと思います。

 

トランプさんが登場したことで

非常に面白くなったと言わざるを得ません。

強いアメリカという意識が根強く

白人至上主義が復活するのかもしれません。

 

そして、海外勢からは、

次期首相候補の河野デジタル大臣の発言や

日銀が利上げをするかも?

という視点で見ると

立ち位置が変われば

見方も変わります。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。