夢への軌跡_やはり、抗生剤は厳しいですねぇ。

20240617_やはり、抗生剤は厳しいですねぇ。

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【やはり、抗生剤は厳しいですねぇ。】   

 

6月17日 月曜日です。

 

おはようございます。

 

今朝は薄曇りで明るい朝を迎えました。

 

南関東は大気が不安定なので

いつでも雷雨という状況で考えないといけない

時期のようです。

 

昨日、日曜日は

肉体労働の完全休養日と称して

パソコン画面にかかりっきりでした。

 

動と静を上手に使い分けたいと思います。

 

今日は、義母さんの歯科医への送迎です。

時間に余裕があれば

私・お父さんの歯のクリーニングを行ってもらう予定です。

 

まぁ、自分でできるので

クリーニングだけであれば、

いつでも良いという感覚で

ゆったりと考えたいと思います。

 

送迎がメインですねぇ。

 

入院98日目 一般病棟14日目 導尿再開39日目

ということで、今日のお題は、

【やはり、抗生剤は厳しいですねぇ。】

です。

 

昨日の小粒ちゃん(ネーネ・助監督)との面会は

円滑に進みましたが、

抗生剤投与中ということもあり

反応はイマイチでした。

 

どうも、このバンコマイシンの点滴投与中は

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の体調を悪くしているようです。

 

抗がん剤と同様の働きをしています。

面会時の様子を確認すると

反応はイマイチ、眼振あり

ということであったので

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)要望の

ポカリアイスを口の中に放り込み

満足感を与えて

早々に終了しました。

 

予定開始時間は1時間以上前なのですが、

投与開始が遅れたようです。

 

本来であれば、15時前に

点滴を終了してもらわないと

面会時に悪影響を感じる

お母さん(監督)です。

 

ゆっくりと睡眠と休養を得て

病魔と戦ってもらいたいと考えています。

リハビリは日曜日にはないので

ゆっくりできたことでしょう。

 

今日の面会時には、

抗生剤投与を終了した

元気な小粒ちゃん(ネーネ・助監督)と面会したいと

考えています。

 

モチベーションアップを考えても

難しい状況であれば、

無理難題を投げかけるだけなので

言葉の選択に苦慮します。

【やはり、抗生剤は厳しいですねぇ。】

とは、

看護師さんたちはそこまで感じていないのでしょう。

 

毎日、面会に訪れる家族の思いを。。。

 

開始時間が遅れてしまえば

終了時間も遅れます。

 

その間、面会となると

異常であると察することができるんですよねぇ。

 

機械的に投与するのであれば、

時間厳守が望ましいでしょう。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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6月17日 月曜日です。

 

備忘録は完成しました。

やはり、米ドルが強いということでしょう。

 

日本円については最弱と認識していましたが、

どこかでポジションの調整がやってくるかも?

そして、

介入があると

大きく動き出しそうな展開です。

 

週後半は大暴れになるかもしれないですねぇ。

 

短期トレードで

利益を生みたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。