夢への軌跡_小康状態で一安心!

20240421_小康状態で一安心!

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【小康状態で一安心!】

 

4月21日 日曜日です。

 

おはようございます。

 

今日は曇り空から雨予報の日曜日です。

雨が降り出す前に

我が家のモッコウバラの処理を行いたいと考えています。

 

雨風が強いと

黄色い花びらをご近所さんへ撒き散らすこととなり

早めに処理が必要となります。

 

これも我が家の毎年のイベントです。

今年はお母さん(監督)と2人ですが、

昨年までは3人で行っていました。

 

入院41日目

ということで、今日のお題は、

【小康状態で一安心!】

です。

 

一昨日、金曜日の夜に二度目の呼び出しに遭遇し

主治医M氏との面談をこなしました。

 

同席していた部長医師N氏のセリフには

閉口しましたが、

主治医M氏は、一生懸命に

お仕事をしてもらえています。

昨日土曜日、訪問時に

鎮静薬の量が減量されており、

『下がったの?』

と担当の看護師さんへ確認したところ

 

朝、主治医M氏が立ち寄り

投与量を変更したようです。

 

お休みであるにもかかわらず、

朝、立ち寄って投与量の変更を行う

主治医M氏に感謝します。

 

主治医M氏は、当たり前のように振る舞っていますが、

お母さん(監督)と私・お父さんにしてみると

最強の味方となります。

 

何せ、自由に病室に入れる主治医ですから。

夕方の面会時には、

病室に入るものの

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)は就寝中であり

口だけが動いていました。

 

歌を歌っているのか

夢を見ているのか

分かりませんが、

再挿管はされておらず、

小康状態と見ています。

 

急変がなければ良いのですが、

このままの鎮静薬で

月曜日を迎えてほしいと思っています。

担当看護師に部長医師N氏の情報を確認しました。

 

既婚子持ちということが判明したので

親の気持ちはわかるようです。

 

しかし、私たちに発言するときには

患者をものとしか見ていないような雰囲気なので

患者家族の気持ちは

自分が当事者にならなければわからないのでしょう。

 

二度と会いたくないので

看護記録に記載してもらうように伝えました。

【小康状態で一安心!】

とは、

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)の容体が

悪い方向へ進んでいないということだけでも

ラッキーです。

 

改めて再挿管となると

今後はハードルが非常に高くなることは

避けられません。

 

なんとか持ち堪えてもらい

平熱に戻ってもらうことを期待しながら、

毎日、面会を続けています。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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4月21日 日曜日です。

 

リスクオフの見方から

米ドル高・円高というシナリオが考えられそうです。

 

円高が継続すると

クロス円は下目線となりますが、

USD/JPYが上昇してしまうと

クロス円の動きは難しくなります。

 

ドルストをしっかりと見ていきたいと思います。

 

備忘録は完成したので

後ほどアップします。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。