夢への軌跡_今年初のびっくりでした。

20240130_今年初のびっくりでした。

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【今年初のびっくりでした。】

 

1月30日 火曜日です。

 

おはようございます。

 

今週は雨なしで過ごせそうな南関東です。

昨日は、気温も13℃程度まで上昇し

体感温度としては

非常に過ごしやすいと考えられる

一日でした。

 

暖かいと体が動かせやすいのでありがたいですね。

 

しかし、

私・お父さんの右手は

まだまだリハビリが必要な状況であるので

整骨院へ向かい

しっかりとケアを行ってきました。

 

ありがたいですねぇ。

近距離でことが済んでしまうことに感謝しています。

ということで、今日のお題は

【今年初のびっくりでした。】 

です。

 

噂には聞いていた

というより耳にしていた石井さんです。

(笑)

 

非常に元気で1929年生まれということで

太平洋戦争も経験しており

95歳となる女性です。

 

目の当たりにして更にびっくりしました。

「お兄さんはなんでここにきているの?」

 

『僕ですか?昨年夏に木から落ちて骨折したので。』

 

「あら、木から落ちるなんで大変でしたねぇ。」

 

『そうなんですよ。だから、リハビリに通っているのですよ。』

 

「お若いのになんでここにいるのかしらって思ったのよ。」

 

という、お婆さんでした。

噂には聞いていた石井さんでした。

95歳のお婆さんにしては

応答がはっきりしていて

70代でも問題なく通用する元気さでした。

 

現在は、近くの老健施設に入っており

送迎はスタッフが行っています。

 

施術が終わるとスタッフが迎えにきて

安全を確保しながら

老健施設へ戻っていきます。

昨年の夏までは

自宅からの徒歩で通っていた整骨院なのです。

 

自力で通える力も素晴らしいと思いますが、

会話もなんら問題なく、

『本当に95歳ですか?』

と聞きたくなるほどでした。

 

やはり、意識の問題なのでしょう。

 

たまたま、

ベンチシートで隣り合わせとなり

超音波の施術を行っている際に

お話ししただけなのですが、

 

このような高齢者であれば、

問題なく一緒に過ごせるのではないでしょうか?

体力は衰えてはいるものの

自分の体をしっかりと支えて

自分の意見をはっきりと言える姿に

感銘を受けました。

 

素晴らしいですねぇ。

【今年初のびっくりでした。】

とは、

95歳のお婆さんと

問題なく会話ができたことです。

 

耳も遠くなく

何事も前向きに捉えている姿は

素晴らしいと思いました。

 

また、お会いできることを楽しみにしたいと思います。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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1月30日 火曜日です。

 

昨日月曜日は、

チャートに向き合える時間だけトレードを行いました。

 

東京市場で15 pips

欧州市場で20 pips

米国市場で10 pips

と十分に満足感のあるトレードとなりました。

 

月末リバランスがあるので

早々に撤退して

逃げました。(笑)

 

今朝、起きると円高へ動いていますねぇ。

やはり、カギとなった148.8です。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。