夢への軌跡_いろいろな発見がありました。

20170813_いろいろな発見がありました。

 

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【いろいろな発見がありました。】

 

 

おはようございます。

 

8月13日日曜日ですね。

 

昨晩はというより、今朝は

ペルセウス座流星群の見ることの

できる日ですね。

 

我々家族は、茨城県の展望台に宿泊し

24時間体制で観測です。(笑)

 

嘘です。

 

お父さんは近くにコンビニがないため

お高いビールを宿で注文しました。(笑)

 

美味しいことは美味しいのですが、

好みでないため、飲み過ぎても

『うーん』という印象です。

21時から専門家の説明があり、

そして、翌朝4時まで

自由に観測ができる展望台で待機です。

 

いやぁ、寒すぎるので

お父さんはスポットで展望台に上がりました。

 

しっかりと睡眠をとってから参加しました。

 

雲との戦いですね。

21時過ぎに行ったときには晴れていましたが、

ものの10分としないうちに雲が・・・

 

でも、その10分で流星が見えました。

お父さんは3個。

お母さんと小粒ちゃんは出遅れたため

0個です。(笑)

 

お父さんは雰囲気良く眠りにつきます。

そして、朝、出動しました。

 

3時です。

 

展望台に横たわり、

ボーっと見ていると

視界に流星が登場します。

 

北東が目安になるのですが、

東の空にも確認が出来ました。

 

滅多にない、貴重な体験でした。

 

印象としては、

ほんのコンマ数秒の出来事なので

「あー」という間に消えていきます。

 

そこで、今日のお題は

【いろいろな発見がありました。】

です。

 

大きな望遠鏡やペルセウス座流星群、

そして、屋上にベタ寝して

専門家の話を伺い、

実際に流星を確認するのは初めてでした。

 

あっという間の出来事ですが、

夢がありますね。

 

そして、それを見に来ている家族が

親子4人でベタ寝していると

親子の会話を垣間見ることもできますね。

 

我が家では、お父さんのみが

一生懸命、ビデオや画像に残そうと

努力しましたが、

倍率がたらずに断念しました。(涙)

 

大きな望遠鏡からは

神秘的な月の写真を撮ることができました。

素晴らしい画像と流星に感謝です。

 

最も学んだことは

夏の夜空の鑑賞を侮ることなかれ

『滅茶苦茶、寒い!』

 

長袖のフリースでしっかり

覆っていきましたので

私は大丈夫ですが、

薄いコートで風除けだけであれば

体温を奪われて寒さは倍増です。

 

さぁ、今晩も確認できますよ。

ペルセウス座流星群です。

 

30分くらい、ポヤーンと

上を見ていると、必ず2,3個は

確認できるでしょうね。

 

その、コンマ数秒の間に

3回願い事を唱えるのだそうです。

 

お母さんは、もちろん、

「カネ、カネ、カネ」

だったようです。(笑)

 

 

 

 

常に前進ですね。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。