夢への軌跡_簡単だけど、継続は必要です。

【簡単だけど、継続は必要です。】

 

世のお父さんはお休みの土曜日ですね。

 

我が家のお父さんである私は、

小粒ちゃんの通学のお手伝いです。

 

今朝も4時起床、6時出発のいつも通りの

生活が始まっています。

 

しかし、今の午前中は、小粒ちゃんが授業中なので

Wifiのつながるところで待機中です。

 

今度はお迎えなのです。

お父さんは土日もありませんね。(笑)

 

さて、今回のお題は、

【簡単だけど、継続は必要です。】です。

 

何ごとも継続ありきの物事になりますが、

『継続は力なり』とは良く言ったものです。

 

小粒ちゃんを送っていく車中で

英語を勉強していた小粒ちゃん。

 

今回のテスト範囲は、

TO不定詞と動名詞です。(笑)

 

文法的に言うと、自動詞と他動詞があり、

1つの動詞で双方の役割を担う動詞は

TO不定詞も動名詞も後ろに

つなげることが出来ます。

 

難しいですね。(笑)

 

なんとなく、感覚で理解している

お父さんの私は、どの動詞でも

感覚で考えてしまいます。

 

小粒ちゃんの質問は、

It began to rain in the morning.

と同様の内容の文を作成しなさい。

(動名詞を利用して)

ということでした。

 

お父さんにしてみると、

Begin rainingというフレーズが

しっくりこなかったので、

Start rainingと言い換えたら、

「お父さん、回答と違うよ!」

と指摘が入りました。(笑)

 

Beginは自動詞も他動詞もあるので

TO不定詞も動名詞も

後ろにつなげることが出来るのですね。

 

いやぁ、使い慣れないと

『知りません!』となりますね。

 

もう一つ、この話題で

1. Stop to smoke

2. Stop smoking

では、意味が異なります。

 

1は「立ち止まってタバコを吸う」

2は「禁煙する」

となります。

 

日々、勉強ですね。

 

英語は継続学習ですね。

そして、必要です。お父さんにも。

 

こちらで共に学びましょう。

 

https://fukuyama-syo.com/h14y

 

私も継続していますので。

 

 

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。