夢への軌跡_私的成功と公的成功

20160801_私的成功と公的成功



【私的成功と公的成功】


おはようございます。

月曜日ですね。今週も頑張っていきましょう。

8月に入りました。

さて、今日のお題は、【私的成功と公的成功】です。

20160801_私的成功と公的成功


他人の評価を気にする人が多いのも事実ですね。

私の価値観にも【評価】という項目が上がっています。

過去の【価値観】についてはこちらです。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12169464797.html


しかしながら、

【私的成功】の上に【公的成功】があるわけです。

自ら、努力してその道のプロフェッショナルに

ならない限り、【私的成功】を得られないばかりか

【公的成功】には及ばないという結果につながります。


例えば、あと数日で開催される

リオデジャネイロのオリンピックでは、

様々な競技が行われますが、

それぞれの代表選手たちは、

当然、【私的成功】を獲得してから

オリンピックの舞台に立っていますよね。


毎日、数時間のトレーニング、食事制限、学生であれば勉強、

トレーニングでも、朝早くから夜遅くまでの努力の結果、

オリンピックの切符を国内で手にして、

これから、リオデジャネイロで活躍しようとしているわけです。


この努力が【私的成功】となります。

まずは、自らが律して、努力ですね。


【私的成功】を掴んだ人は、

自立している人となります。


ビジネスでも『段取り8割』という言葉があるように

準備をしてから臨むということが

【公的成功】への第一歩ですね。


日々、成長です。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。


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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。