夢への軌跡_え?また救急車ですか?

20170222_え?また救急車ですか?

 

 

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【え?また救急車ですか?】

 

 

おはようございます。

 

長い火曜日が終わって、週の真ん中水曜日ですね。

もう既に、お疲れモードの私です。(笑)

 

実は、昨日、突然連絡があり、

「小粒ちゃんが倒れた。」とのこと。

学校から連絡がありました。

 

「救急車を呼んで、待っている最中です。」

と小粒ちゃんの母である、私の妻に連絡があり、

オタオタしていた、お母さん。

 

「どうしよう。どこにいる? お父さん。

 すぐ、学校に行かないと。」

『病院でしょ? 運び先の確認はしたの?』

「〇〇病院っていったけど。。。」

『では、私は電車で向かいます。

 お母さんは、車でお願いいたします。』

 

昨日は、風の強い日でした。

電車も千葉県と東京都の境界線である

江戸川をゆっくり、ゆっくり走っていました。

 

強風の時は致し方ないのですね。

川の上は突風が吹き荒れていますから。

 

ということで、今日のお題は、

【え?また救急車ですか?】です。

 

私にしてみれば、だいぶ慣れた救急車でも

小粒ちゃんにしては、意識がクリアであればあるほど

不安のようでした。

 

救急車の中で、救命救急士は、小粒ちゃんを

「不穏」と判断していました。

 

お父さんは、焦ることもなく、

病院に到着し、どこに居るのか確認するため

救急外来に訪問すれど、小粒ちゃんはいません。

 

慌てず騒がず、事務へ確認すると

小児科外来にいる様子。

 

またまた、その後も捜索願いのように

病院内を探し回り、やっと見つけた検査室。

 

『よっ! 小粒ちゃん 元気?』

元気のはずがないのにそのような声をかけるお父さん

 

「大丈夫だよ。」と小粒ちゃん。

 

しかし、明らかに表情がおかしい。

だいぶ、疲れた様子。

その場にいたのは担任の教員と養護教員の先生でした。

 

『いつも大変、お世話になっております。

 状況確認だけしたいので。』

と言って、午前中の授業から色々確認しました。

 

原因は、自分に対するプレッシャーを自分にかけてしまい

更には、紙を制作物に貼る際に、光が反射して

影響を受けた様子でした。

 

まさしく、「光過敏症」ですね。

 

顔色を見ると、熱っぽいので看護師に到着時の

体温を確認すると、

36.9度とのこと。

まぁまぁ、微熱かな?

ということでした。

 

バイタルは、Sp02が98%

血圧は125/60

心拍数は120

『ん?心拍数が高くないですか?』

「そうなんですよ。ちょっと気になりますね。」

と看護師さん。

 

「落ち着けば、100まで下がりますけど、

 興奮しているのか、上がりっ放しで。」

 

『なるほど。様子を見る限りでは、仕方ないですね。』

 

お母さんが到着までに、モニターを確認し

状況を把握し、本人の顔色を見て

発作のあった事実を理解しました。

 

『光過敏症によるてんかん発作ですね。』

と理解しました。

 

独り言をぶつぶつ言っていると

養護の保健教員は、「???」の様子。

『業界の人間なんで。』

とお父さんは回答しました。

 

小粒ちゃんは、そのまま主治医との診察を受け、

今後の方針を打合せし、帰宅できました。

 

『良かった。良かった。』

とは、私のセリフですが、

営業中にこの連絡が入ってくると、

全部その後の予定がキャンセルですね。

 

確かに疲れますね。(笑)

 

お母さんもだいぶ疲れた様子です。

私の顔をみると文句ばかりになります。(笑)

 

しかし、入院にならなくて何より。

更には、新たな薬を様子見で投与してもらえた

ということと

始める時期は、こちらの判断となるので

そのあたりも自由度が増しました。

 

主治医も、お手上げみたいです。(笑)

 

画像は昨日の営業中に色のコントラストが

良かったので、映してみました。

営業中のホッとしたひとコマです。

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。