夢への軌跡_ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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【ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。】

こんにちは。お昼の投稿です。
午前中は、良く動きました。
・冬タイヤへの交換
・掃除機の掃除
・ちょっとお仕事

我ながら、お父さんのお仕事をかなり
完璧にこなしています。

娘が帰宅したら、今度は勉強かも?
英単語、因数分解などなど。

私は一体、何になりたいのでしょうか?
自問自答してもわかりません。

さて、今回のお題は、
【ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。】です。

私の投稿にこのメッセージを追加しているので
数名の方から、『パンダさんですか?』と聞かれます。(笑)

確かにこの由来は、いろいろな方からのアドバイスをもとに
追加するようにしたのですが、
直接、『パンダ渡辺さん』からの影響もないとは言いません。

【パンダ塾】に入ろうとした時もありましたので。

最も、影響を受けたのは、【斉藤一人さん】ですね。
何事も前向きで、どれも自責で処理をしていく姿に
共感を覚えました。

【斉藤一人さん】は、兄弟も多く、
ご両親が最後のひとりにしてほしいという意味を込めて
【ひとり】という名前になったそうです。
したがって、末っ子ですね。

激動の昭和の時代で、中学卒業して、
社会人となり、現在に至ります。

当然、学歴で差別を受けたこともあったようですが、
『俺は、中卒だ。何が悪い。
中卒で社会に出て、いろいろ勉強してきたんだ。
高校で勉強するより、よほど、勉強になったんだ。』
という考えで前進して、
『スリムドカン』という製品と『まるかん』という会社を
作ったのですね。

彼のモットーとして、天国言葉があります。
・幸せです
・愛してます
・うれしいです
・楽しいです
・感謝しています
・ありがとう
・ゆるします
そして、
・ついてます

この8つを常に念頭に入れたいので、
私のメッセージには、
【ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。】
と記載しています。

人の至らない点ばかりを、目の敵にして、
会社員の飲み会のように、【愚痴大会】の
先導をしている人を見かけますが、
常に、自戒として捉えることにより、
自らが成長すると考えています。

余談ですが、そのような内容です。
因みに前述の『パンダ渡辺さん』も
この業界にデビューするときには
【斉藤一人さん】を参考にオーディオブックを
何回も聞いていたようです。

今は、You Tubeで簡単に検索できますし、
ダウンロードも無料ですから
視聴するのも良いと思います。

【斉藤一人さん】は、ちょっと口は悪いかもしれませんが、
愛情たっぷりで登壇されています。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。