夢への軌跡_寒中見舞い、そこから学ぶこと!

20180101_寒中見舞い、そこから学ぶこと!

 

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【寒中見舞い、そこから学ぶこと!】

 

おはようございます。

寒中見舞、申し上げます。

 

お正月ですね。

今年は、昨年、義父が亡くなったので

喪中です。

従い、寒中見舞いとなります。

 

賀状も投函しませんでした。

そして、喪中のハガキも一部の人にしか

投函しませんでした。

 

ということは、いくつか年賀状が

届くのではないか?

とも思っていますが、

寒中見舞いで返答するか、

そのまま、見ないふりをするか? 

ですね。(笑)

 

そのような環境下に小粒ちゃんの

読書感想文が転がってきました。

 

学校推薦の図書ということで、

即購入して、小粒ちゃんに提供しました。

 

タイトルは、

「<自分らしさ>って何だろう?」

榎本博明氏著書です。

 

 

 

 

中学生に読んでもらうには

ちょっと難しいかなぁと思ったのですが、

内容を把握しました。

 

ということで、年始元旦のお題は

『寒中見舞い、そこから学ぶこと!』

です。

 

上述の本には、

自分の存在に悩む人に提言していて

自分らしく生きたいと考えた時に

迷い込む迷路を冷静に考えたいという

内容でした。

 

結論から言うと、

「迷ったら、新しいことにチャレンジ」

ということを指しているようです。

 

・自分を見つめて自分の存在を考える。

・他からどう見られているかを気にするのであれば、

様々な角度から見てみる。

・自分のストーリーを考える。

・習慣化したら、新しいことに挑む。

 

ということのようです。

 

他から色々言われることがあったら、

めげることなく、

新しい立ち位置で自分を見つめ直し

その時の目標にひたすら進む

ということでしょうね。

 

我が家の小粒ちゃんは、

本を一通り、読んだらしいのですが、、、、

 

「お父さん、何言っているか、わかんない?」

とのこと。

 

確かにマズローの法則や

ピグマリオン効果なんて言われても

中学三年生ではわかりませんね。

 

ある意味、哲学ですよ。

 

幸い、お父さんは色々勉強してきたので

理解はしていますが、

お母さんは、

「え?何?聞いたことない?」

というレベルです。

 

そりゃそうでしょうね。

 

好きな人でないとわかりませんね。

 

この本は、カタカナが多いのも

小粒ちゃんにとっては、難しいと思ってしまう

理由かもしれません。

 

著者は恐らく、

中学生向けに書いたわけではないので

難しいカタカナを利用しているのだと思います。

 

この本を学校が推薦するとは・・・

 

それも中学生に。

それはないでしょう。

というのがお父さんの反応です。

 

気付きを得る中三生は恐らく、

1%程度でしょう。

 

なかなかの内容です。

 

そのような本を読んで、

お母さんと会話をしていると

小粒ちゃんには「気遣い」がないようです。

(笑)

 

更に、本能から

イヤなことは先送り、全てが受け身

という状況が上がってきました。

 

やらなければならないという

脅迫観念は自分でも持っているようで

自分を追い込むタイプです。

 

エニアグラムで言う

まさに、タイプ9-1です。

内に込めるタイプなので

しっかりと発散させないと

また、倒れますね。

 

そのような状況を本から学び

家庭環境に順応させることが出来

そして、

エニアグラムの凄さを痛感しました。

この心理学をしっかりと学び

自分を正しく理解することで

新しい一歩を踏み出せると思います。

 

亡くなった義父は、徳の多い人だった。

と思います。

 

過去に投稿しましたが、

人生の通信簿が満点であったので

天に召されていったのでしょうね。

 

寒中見舞いと自分らしさの本から

気付きを得て、

更にエニアグラムで学びを深める

という年始の目標が一つ

出来上がりました。

 

昨日、大晦日は、床ワックスを行い、

ヘロヘロのお父さんでした。

 

更に今日は朝からお出かけです。

毎年恒例、アウトレットです。(笑)

 

元旦はお母さんのストレス解消に

お付き合いです。

 

もちろん、家族4人です。(笑)

今日は、お転婆ミーのリードを

買おうかなぁと思っている

親バカです。(笑)

残った大掃除は2日から開始となります。

まだまだ、残っています。

お父さんのTODOリストは。(笑)

 

今年も、全力ですね。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。