夢への軌跡_耳が遠くなると声が大きくなる?

20240117_耳が遠くなると声が大きくなる?

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【耳が遠くなると声が大きくなる?】

 

1月17日 水曜日です。

 

おはようございます。

毎日寒い日が続く、南関東です。

 

気温も一桁であり

風が強く、

体感気温がマイナスに感じることがあります。

 

外出時には、

帽子、ベンチコート、フードという形で

外気温から自分の体を守らないと

過ごしていけないほどです。

 

体調管理を優先に過ごしたいと思います。

ということで、今日のお題は

【耳が遠くなると声が大きくなる?】

です。

 

私・お父さんの生活スタイルなのですが、

かなりイヤホンの装着率が高く

家にいても一日3時間程度は

イヤホンを利用しています。

 

そのせいか

「声が大きいのよ。」

とお母さん(監督)に言われ

極力ボリュームを下げたいと思うのですが、

 

あまりに下げ過ぎると

自分で話した言葉が

自分で聞き取れないという現象に陥り

どうしても大きくなってしまうのです。(笑)

そのような印象を持ちつつ、

昨日、リハビリに向かいました。

 

地元の整骨院となるのですが、

高齢者が多いというのが第一印象です。

 

カーテンで仕切られたベッドに

招き入れられるのですが、

お隣のベッドの高齢女性の声が大きいこと。

 

まるで怒鳴っているようでした。

施術師としっかりとやり取りを行なっているのですが、

内容としては反応できないので

ほくそ笑むしかありません。(笑)

 

高齢女性が施術師に

電気パッドを体に貼ってもらっているのですが、

「胸がどうの」

「前か後ろかわからない」

という会話が成立しており、

 

双方とも女性ですから

笑い話で済むのですが、

隣で聞こえている私・お父さんとしては

単に聞きたくない内容を聞いているだけとなりました。

あそこまではっきりと話ができるので

頭はしっかりとしているのでしょう。

 

しかし、大声で話す内容ではないので

少し耳が遠いのかなぁ

と感じました。

 

まぁ、耳が遠くなると

声が大きくなるということは

理解できるのですが、

『言う内容に関してはTPOを考えてほしいなぁ。』

と思いつつ

電気パッドを体に貼り付けて爆睡しました。

 

至福の時間となるのですが、

隣のベッドの大声には

閉口しました。(笑)

【耳が遠くなると声が大きくなる?】

とは、

年齢も関係するのでしょうが、

内緒話ができなくなりそうです。

 

もちろん、私・お父さんも同様です。

 

スマホを利用して文字でやり取りを行うと

話さなくて良いので

内緒話のようになります。

 

便利なのですが、

前述の高齢女性のように

胸の位置を前だとか後ろだとか

垂れてきているとか

そのような会話で周りを和ませることも必要でしょう。

 

男性には、必要のない会話ですけど。。。(笑)

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2024年もスタートから順調です。

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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1月17日 水曜日です。

 

昨日も東京市場で

USD/JPYの買い・ロングエントリーで

上手に手仕舞いが行えて

持ち越しなしで

淡々と利確を行いました。

 

それにしても日本円は弱いですねぇ。

今年に入ってからUSD/JPYは上昇中なので

売り・ショートのポジションは含み損を

抱えることとなりそうです。

 

更に、米国市場で

147.0を超えてきたので

ここで休憩をとって下降するのか?

それとも

更なる上昇か?

しっかりとにらめっこを行いつつ

トレードを行なっていきたいと思います。

 

にゃんにゃん。。

 

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にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。