夢への軌跡_結局、行うハメになりました。

20231120_結局、行うハメになりました。

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【結局、行うハメになりました。】

 

11月20日 月曜日です。

 

おはようございます。

 

毎朝、寒い朝を迎えていますねぇ。

昨日も寒いと感じつつ

次女ミー(ミータ)のために

床暖をつけて

寝そべっている彼女との幸せな時間を過ごしました。

 

次女ミー(ミータ)はお腹を出して

仰向けで寝るのですから

かなり、すごいことなのでしょう。

 

朝のスキンシップタイムとなります。

ということで、今日のお題は

【結局、行うハメになりました。】

です。

 

ここのところ、義母さんの垣根が話題の

我が家です。

 

「誰がやる?」

というのがテーマとなりますが、

 

一人では完了はできません。

 

私・お父さんがいくら頑張っても

3日以上はかかりそうな長い垣根となります。

 

たまたま天気もよく

私・お父さんのルーティンワークが10時に終了したので

念の為、お母さん(監督)に確認しました。

 

『どうする?やるの?』

 

「やっておいた方が良い?」

 

『サポートは?』

 

「私も昼過ぎにはいく!」

 

ということから

11時に出発した私・お父さんは

足袋をはき、

電源ケーブルを引き延ばし

チェーンソーを利用できるように準備しました。

裏庭から入り口まで

おおよそ50mとなる垣根です。

 

どこまでできるかは分かりませんが、

サポートを期待しないで

一人で行える程度を予想していました。

 

全てを完了させようとすると

無理が発生するので

目安は半分ということで

脚立とチェーンソーで動き出しました。

義母さんのお友達も共に

農作業をしていたので

「すごいわねぇ。本職じゃないでしょ?」

と言われ、

 

『そうですねぇ。ある意味趣味ですねぇ。』

と返答して作業開始としました。

 

1時間経過しても

サポートとなるお母さん(監督)は

やってこないので

 

『この辺で終わりにするかなぁ?』

と考えていた矢先に

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)登場となりました。

ということは、

お母さん(監督)も到着していることが判明して

その後の計画を変更しました。

 

そうなのですよねぇ。

切り倒した枝の処理が待っているのです。

 

一定の場所へ運ばなければならず、

その収集と運搬がかなりの重労働なのです。

 

そして、新たな助っ人となる

義兄さんも登場してきたので

私・お父さんとしては

切り倒すだけで済みそうな雰囲気となり

 

約35m程度の伐採と剪定を完了しました。

 

怪我なく作業を行えたことに感謝です。

残り15mは、

木曜日に行う予定です。

 

体力勝負の私・お父さんです。

農家の娘を嫁にもらったので

因果関係ははっきりしています。(笑)

【結局、行うハメになりました。】

とは、

私・お父さんの体力勝負となりました。

 

我が家の家族3人と義兄さんで

作業を行い

阿吽の呼吸で作業が完了して

相当量のエネルギーを利用しました。

 

体内には大量の乳酸が溜まっているように感じています。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

 

常に意識して

英語のレッスンを受けることで

亀のような足取りでも成果は得られるのではないか

と感じるようになりました。

 

そして、2023年もほぼほぼパーフェクトとなり

習慣化としては、しっかり定着してきました。

忘れないように毎日レッスンを継続します。

無駄にできない毎日25分です。

 

ラッキーなことに

月一で日本人講師とのレッスンが可能となりました。

 

なので、

良くわからない表現を丁寧に

説明してもらうには

やはり、日本人講師のサポートが必要です。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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11月20日 月曜日です。

 

20日のゴトー日ですねぇ。

円安でクロス円高となりそうな雰囲気です。

 

東京市場は注目ですねぇ。

 

エントリーができれば

早々に逃げます。(笑)

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。