夢への軌跡_被害者は、私・お父さんです。(笑)

20221224_被害者は、私・お父さんです。(笑)

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【被害者は、私・お父さんです。(笑)】

 

おはようございます。

12月24日 土曜日です。

 

今日は、『永遠の35歳』に戻る日となり

そして、

それを我ながら自負する時となる

クリスマスイブです。

 

当時とは、どのくらい前かなぁ?

 

お母さん(監督)とラブラブであった時には

ティファニーやエルメスに連れて行かれたこともありました。

 

ヴィトンの財布をその日に無くされた時には絶句でした。(笑)

 

頑張って働いた当時の私・お父さんも

偉いですが、

今も自負心が強く芽生えています。

ということで、今日のお題は

【被害者は、私・お父さんです。(笑)】

です。

 

発端は親子げんかとなります。

母親と娘となるお母さん(監督)ですねぇ。

 

そろそろ一月が経過するので

時効の時期かなぁと思いますが、

なかなかそうはいかず、

私・お父さんは時間と労力を負担しています。

そもそも論としては、

穴掘りから始まったようです。

 

義母が穴掘りをお母さん(監督)に依頼した時に

「うちのお父さんは、腰痛だから難しいかもよ。」

と言ったことが発端かもしれませんね。

 

その後、突然キレた義母は

「お前は私を殺す気か?」

「お前は親を大事にしていない。」

という罵声を浴びせられたということのようです。

私・お父さんはその場にいなかったので

なんとも言えませんが、

あくまでもお母さん(監督)からの情報です。

 

間に入っている小粒ちゃん(ネーネ・助監督)も

「バーバ、謝ったら?」

と確認すると

 

「そのうち忘れるわよ。」

と返答する様子。

言った方は忘れるのですが、

言われた方は忘れられないのですよねぇ。

 

「一生、忘れない。」

とお母さん(監督)は豪語しています。(笑)

 

なので、親子げんかは越年することでしょう。

 

そのとばっちりが

私・お父さんとなります。

在宅ワークで時間があるので

「婆の病院の送迎をお願いします。」

というお母さん(監督)の号令で

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)と私・お父さんは

出発なのです。

 

病院での待ち時間は1時間なので

その間に業務をこなしていきますが、

やはり、在宅でこなす量と比較すると

だいぶ落ちてきます。

 

困ったちゃんですねぇ。

さらに困ったちゃんなのは

「帰り側に歯が取れちゃったのよ。」

とのこと。

 

慌ててかかりつけ歯科医へ連絡して

予約を入れてもらい

それも送迎となります。

 

まる一日、時間と労力を奪われてしまった感の

強い私・お父さんです。

 

『どっちでも良いけど、仲良くしなよ。』

とは

私・お父さんのセリフですねぇ。

ほぼほぼ、日中の時間を奪われてしまいました。

 

早くなんとかしてもらわないと

私・お父さんが疲弊してしまいます。

【被害者は、私・お父さんです。(笑)】

とは、

感情でモノを言う親子でしょう。

 

自分で移動ができないのであれば、

感謝が必要ですねぇ。

 

義母の強気の姿勢に

ちょっと閉口しているのは事実です。

 

小粒ちゃん(ネーネ・助監督)も

呆れています。(笑)

 

いつ終息するのかはわかりません。

 

でも、穴掘りは私・お父さんは手伝ったのですけどねぇ。

にゃんにゃん。。

 

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いつも通りに英語レッスン受講です。

2日、話さないと忘れますから。。。

1月から11月は、パーフェクト!

今のところ、順調です。

 

2022年は現時点でパーフェクトです。

無駄にできない毎日25分ですねぇ。

 

習慣化すると歯磨きのようにレッスンを受けられます。

歯磨きレッスンが理想ですね。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

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常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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12月24日 土曜日です。

 

日銀の金融緩和の後の戻りの時間が

継続しているようです。

 

4HCでは、

まだまだ若いので下目線を継続したいと思います。

 

じっくりと備忘録を作成していきます。

 

にゃんにゃん。。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。