夢への軌跡_夢実現の始めの一歩

【夢への軌跡_夢実現の始めの一歩】

 

BMTS生・永遠の35歳・の福山 紫生です。

 

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成果者続出のBMTSがついに価格改定です!

ニューロ言語プログラムを使って、

パルテノン神殿のように、収入の柱を

しっかりと構築できた成功プログラムです。
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あなたは、【夢】という文字について

どのように考えていますか?

 

当時、私が電車通勤で往復4時間を

車内で過ごしていた時、

過労から吊革につかまっていても

爆睡状態で、ひざが折れてしまうことを

何度も経験しました。

 

そのような時にも、何か見えているモノが

ありました。

 

それは、『お金と時間の自由』です。

 

まず、生活に困らない収入を得ること。

 

そして、時間に追いかけられるような

過ごし方をしないこと。

 

いずれ、獲得できるであろう本当に

『憧れの生活』を夢見ていました。

 

今は、その時に比較し、多少の

『お金と時間の自由』を得ています。

 

というのも、直行直帰型の営業に変化し、

出張はほとんどなしという好待遇へ異動、

更には、出張していた時間を利用し、

副収入をゲットできるほどになりました。

 

【夢】は諦めるものではありません。

【夢】は見るものでもありません。

【夢】は叶えるものですね。

 

その為の始めの一歩は、やはり、

しっかりとしたコーチについてもらうと

嬉しいですね。

 

しっかりとした道先案内ではなく、

夢先案内です。

 

あなたは、現状維持にとどまりますか?

 

現状維持は衰退の始まりです。

しっかりと学習して、自分の可能性を

引き出していきましょう。

 

きっかけは【のぶレクチャー】です。

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【始めの一歩】をしっかりと教えてもらえます。

 

何かに踏み出せない、でも、踏み出したいという

あなたにお勧めです。

 

私は一つずつ、夢を叶えています。

小さな夢の積み重ねが大きな夢につながりますね。

 

永遠の35歳・福山 紫生の夢はこちらです。

 

  • コンビニで躊躇なくコーヒーを買うこと。
  • 家族と夢の国であるTDRで過ごすこと。
  • 家族とハワイに行くこと。
  • 家のローン完済すること。

 

その夢の為に、前進ですね。

 

夢のアシストしてくれる人が

『のぶさん』です。

 

非常に勉強熱心で

副業で2000万円ですね。

 

凄い人と知り合いになれたと思います。

無料レクチャーを受けたい人は

この指に止まってくださいね。

 

のぶさんの無料レクチャーにアシストします。

 

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きっと、実りがあると思いますよ。

 

福山 紫生からの特ダネでした。(笑)

 

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。