夢への軌跡_売りにくい製品を販売することって。

20210330_売りにくい製品を販売することって。

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【売りにくい製品を販売することって。】

 

3月30日 火曜日です。

 

今日は在宅ワークです。

しっかりとパソコン作業をこなしたいと思っています。

 

そして、風疹の予防接種を受けないと

いけないのですねぇ。

 

抗体検査では、

な・なんと、標準値6に対して

1.1という低レベルでした。(笑)

 

今日は予防接種を受ける予定です。

ちゃんとワクチンが届けば・・・

ですけどねぇ。(笑)

 

コロナのワクチンは

我々の元に届くまでにはまだまだ

時間がかかりそうです。

 

予防が必要ですね。

緊急事態宣言が解除されても。。。

ということで、今日のお題は、

売りにくい製品を販売することって。

です。

 

実は、私・お父さんの所属する企業は

12月末で締められて

目標値に達成していれば、

インセンティブというボーナスが支払われます。

 

そうなのです。3月です。

 

2020年では、私・お父さんの実績は

芳しくなく、

目標に対して97%という達成率でした。

 

しかし、最も売りにくい製品を

数多く販売したのは、

私・お父さんであったのです。

結果的には。。。

売りにくい製品も通常の製品も

カウントは同じということで

おとなしくしていましたが、

 

昨晩、元同僚であり、部下となる

現ジャーマネから、

「その売りにくい製品を販売して欲しい。」

という依頼が来ました。

『む?む?む?』

という反応とともに

私・お父さんの糸が切れました。

 

『昨年、その売りにくい製品を多く販売したのは

 私・福山ですよね?』

 

「おっしゃる通りです。」

 

『評価的に何のプラスαもなかったですよね?』

 

「そうですね。」

 

『にも関わらず、他のチームが売れないということで

 我々が販売することに関して

 評価が変化するのですか?』

 

「ないですねぇ。」

『プツッ』

と切れました。

 

『だったら、受ける必要ないでしょ?

 売りにくいから我々に回してくる他のジャーマネが

 何のマイナスポイントなく、

 売りにくい製品を販売する我々が

 プラスポイントが無ければおかしいっしょ?』

 

「・・・」

 

『売りにくい製品を数多く売っても

 なんの評価もされず、

 売りやすい製品を販売して

 数字が達成すると評価されるのであれば

 システムに問題ありでしょ?』

 

「・・・」

 

そうなんです。

この結果で、多くのインセンティブを受け取った人も

社内には存在しているのです。

 

そして、それは、セールスのトップや

内勤の人たちですね。

 

『末端のセールスだけが辛酸をなめながら

 苦労していて、売りにくい製品を販売しても

 売りやすい製品と同額の評価であることが

 おかしいでしょ?』

 

と、まくしたてました。。

 

久しぶりでしたねぇ。

ここまでエキサイトしたのは。。。

誰も文句を言わないから

なーなーで済まされてしまうわけです。

 

このまま、退職に追い込まれたら、

パワハラで訴えてやろうと考えています。

 

特別、現ジャーマネを

苦しめるつもりはありませんが、

誰か一人だけ、

得をするようなシステムは排除すべきであり、

 

顧客とのやり取りで苦労して

評価されないのであれば、

潮時かもしれませんね。

売りにくい製品を販売することって。

とは、

同じ製品を販売するのであっても

売りにくい製品販売にはプラスαの加点を

するべきですね。

 

そもそも論としてシステムが間違っているのです。

 

コラボも然り、目先の数字に翻弄されている

脳なしの管理職がよろしくないのでしょう。

 

私・お父さんとしては、

徹底的に戦います。(笑)

にゃんにゃん。。

 

なるべく、大人しく、

そして、感染しないように、させないように

過ごしたいと思います。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』は禁物ですね。

 

なにごとも   

『人生は、楽しんだもの勝ち!』です。

 

人生を楽しむためにも今の時期は

大人しくすることが必要ですね。

 

感染者数は、

470,239人になりました。

そして、死者は9,094人です。

重症者数は、342人です。

この情報はNHKの発表を基準にしています。

        

ちょっとした疑問ですけど、

死者数が増加して

尚且つ、

重症者数が増加しているということは

病院ではパニックかもしれません。

 

重症者の定義は、

人工呼吸器を使用している患者数となります。

 

フロントラインで活動している人はたくさんいます。

その人たちに迷惑をかけないように、

大人しく、自粛です。

 

それぞれが意識高く、

手洗い、うがい、手指消毒だと思います。

 

自分の身は自分で守らないと。。。

                      

常に前進です。

            

『迷ったら前へ、

 苦しくなったら前へ、

 つらくなったら前へ。 

 後悔するのはあとでいい。ずーとあとでいい。』

 

という言葉の通り、

進むべき道を間違えないように。。。

 

『ムリ・ムダ・ムラ』を排除しつつ。。。 

 

にゃんにゃん。。

 

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330日 火曜日です。

 

昨日は、流石の月曜日でした。

全くもって方向性なく、

欧州市場を待てば円安へ移行する

という事態でした。

 

年度末、ゴトー日となるので

どうなることやら。。。

 

にゃんにゃん。。

    

現時点での備忘録です。

 

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20210328_updated

夢への軌跡_FX_主要通貨_相場環境認識・備忘録_20210328

https://fukuyama-syo.com/archives/19436

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『ムリ・ムダ・ムラ』は避けたいと考えています。

 

無理なエントリーはしない、

頭と尻尾はくれてやれ、

ということを守ると

大きな利益が発生します。

 

チャートを確認しつつ、楽しみたいですね。

そして、継続が利益を生んでくれます。

 

トレンドフォローをしっかりと行うことが

利益を生んでくれることでしょう。

 

失敗を恐れず、2つのシナリオを作成して

タイミングを待つと言うことが奏功かもしれません。

 

USD/JPYに限って相場環境認識と

2019年と2020年のボラティリティをアップデートしました。

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20200112_updated

夢への軌跡_FX_USDJPY_2019_VOLATILITY

https://fukuyama-syo.com/archives/14527

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20210124_updated

夢への軌跡_FX_USDJPY_Volatility_2020

https://fukuyama-syo.com/archives/18713

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しっかりと、チャートを見ると

今後の動きが見えてきますね。

 

もし仮に、想定外の場合には

損切りを行うことで

最小限のリスクで回避できます。

 

しっかりと、考えてトレードを行うことで

トレーディングの質が向上します。

 

楽しみながら。。。

 

相場の神様に感謝しつつ。。

チャートを確認していきましょう。  

 

にゃんにゃんにゃん。。。 

 

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

 

平均値は16円程度です。

そして、2019年のドル円の年ボラは、

なんと、8円弱です。

 

そして、2020年は

11.5円でした。

 

平均値を割ってくるここのところの3年です。

今後はどの程度動いてくるのか

想像もできませんね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/kei2020

 

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【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?

紹介者に、「福山」と入力してくださいね。

 

ちょっと、覗いてみるのも良いかもしれませんね。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

時間を割いて参加する価値ありと

個人的には考えています。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

 

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

 

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/kei2020

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。