夢への軌跡_若い人との出会いに感謝

20161228_若い人との出会いに感謝

 

励みになります。

お役に立ったら、応援をお願いいたします。

社長ブログ ブログランキングへ

 

【若い人との出会いに感謝】

 

おはようございます。

 

昨日は、娘のお祝いで外食でした。

10月に1週間連続で小テスト3つが全て満点であったら

TDRのホテルで食事をしようという約束をしました。

 

10月中旬に達成して、

慌ててホテルビュッフェを予約したのですが、

既に、12月後半しか空いておらず、

昨日となったのです。

 

同じ千葉県とは言え、松戸から舞浜まで

距離にして30キロでしたが、

かかった時間は2時間と、

まぁ、驚きの年末渋滞と雨という内容でした。

 

早めに到着する予定がギリギリであり、

まぁ、あたふたと駆け込みました。

 

というのも2時間制なので、

座席が終わってしまうのです。

 

さて、今日のお題は、

【若い人との出会いに感謝】です。

 

ホテルは、初体験のミラコスタでした。

ビュッフェで席に案内され、

テーブル担当の方と気軽に話をしたところ、

忙しいにも関わらず、長い時間、頻回に来ていただいたので

話も弾み、いろいろ意見交換ができました。

 

その方は女性で21歳、高校卒業して

ミラコスタのレストランに配属されて3年目であり、

かなり揉まれた様子です。(笑)

 

『結構、しっかりしていますね。感心です。』

「疲れているお父さんに、楽しんでもらおうと思って。」

『ありがとうございます。でも、今日は信頼残高を上げたくて

家族サービスですね。』

「え?なんですか?それ?」

『日頃、忙しい思いをしているから、

家族を見ることができないお父さんなので

お休みに入った時には、そのくらいの残高を

上げておかないといけないのです。

また、仕事が忙しくなると、引き出しばかりが増えてくるので。』

「面白い発想ですね。ここにくるお父さんはみんな、

疲れ切っていて、どう接したら良いのかわからないときがあって。」

『では、ネタとして持っていたらどうですか?』

「はい、使わせてもらいます。(笑)」

という会話でした。

 

我が嫁も娘も聞いている中での会話なので

「うちのお父さん、おしゃべりだからね。」

と嫁が、

「そうなの、話がとまらないの。」

と娘が、

「いやいや、楽しそうで良いと思います。」

と彼女が。

 

本来なら、チップを差し上げるべきところを

投票と言う言葉で席を後にしました。

 

接客業の難しさを肌で感じ、

「どうやってすべてのお客様を楽しませるか?」

について、

考えている彼女に敬服しました。

 

やはり、お仕事って楽しんでやらないといけないですね。

21歳の彼女に、我が娘と同じくらいの年齢でしたが、

勉強させてもらいました。

20161228_mirakosuta

日々、いろいろなことを考えていると

ふとした事がきっかけで、前進できますね。

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

――――――――――――――――

しっかり学んで、しっかり稼ぐ

2017年の良いスタートを切るために

https://fukuyama-syo.com/xnnh

――――――――――――――――

アマゾン1位の書籍が無料配布中です。

https://fukuyama-syo.com/q5y5

――――――――――――――――

無料でスタート。まずは情報収集から。

お小遣いをしっかり稼ぎましょう。

https://fukuyama-syo.com/3bie

――――――――――――――――

自分の限界を自分で決めている。

そのような、≪もったいない病≫の人は日本人に多いですね。

視野拡大のパラダイムシフトです。

https://fukuyama-syo.com/ljmz

――――――――――――――――

 

今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

*****************************************

 

Facebookもやっています。

お気軽に友達リクエストをお待ちしております。

https://www.facebook.com/fukuyamashow

 

ホームページ準備中です。

https://fukuyama-syo.com/

 

ブログランキングを始めました。

よろしければ、応援をお願いいたします。

https://fukuyama-syo.com/5mrd

 

*****************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。