夢への軌跡_やっぱり、できない奴かなぁ?

20190117_やっぱり、できない奴かなぁ?

 

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【やっぱり、できない奴かなぁ?】

 

1月17日 木曜日です。

 

おはようございます。

昨日は、1月の第3水曜日なので

可燃ゴミの収集がない日ということでした。

 

朝から、ゴミ収集場所に張り紙をつけて

「今日の収集はないですよ。」

というアナウンスをしていました。

 

これもゴミ当番のお仕事でした。

 

しかし、ルールを守れないご近所の方っていますね。

 

水曜日の朝に張り紙をして

準備をしましたが、

既に1個ありました。

 

それは、致し方ないとして放置しましたが、

もちろん、収集はありません。

 

更に、昨日水曜日の夜に確認しました。

 

すると、

張り紙後に可燃物のゴミ出しを行なった

家があるんですよねぇ。

 

「見て見ぬふりをしたんでしょう。」

 

我が地域の可燃ゴミの収集日は月・水・金となるので

2日放置すれば、収集が可能です。

 

もちろん、何事もなければ・・・

 

という大前提です。(笑)

 

知らない人も多いのですが、

取集場所って、カラスの溜まり場になるんです。

 

金網のゴミ箱の網目を探して袋の外から突き出します。

 

カラスもバカではありません。

その処理がゴミ当番となるわけです。

 

自分がゴミ当番の時には、

「カラスに荒らされていても見ないで放置!」

 

そして、他の人がゴミ当番の時には、

「カラスに荒らされていると、クレーム!」

 

まさにできない奴の典型ですね。

 

ということで、今日のお題は、

【やっぱり、できない奴かなぁ?】です。

 

ご近所においてもそのように感じることが多いのですが、

いざ、仕事となると、目につきます。

 

そうです。

パフォーマンスです。

 

私はメーカーという立場なので

現場で説明会やトラブルシューティングを行うのが仕事です。

 

しかし、地方の代理店さんは、

顧客に顔を売って、自分を窓口にしてもらいたいんですよね。

 

それは、メーカーである上流も

顧客である施設(下流)もです。

 

昨日、しっかりとトラブルシューティングを

行なってきましたが、

『なかなか、気に触ることを言うじゃないか?』

と思ったので、ここで。

(笑)

 

全てが順調に進んで終了した時に

私・福山から

 

『何度でも行いますので

 少しでも疑問が生じた場合には

 ご連絡ください。』

 

と片付けを始めようとすると、

 

昨日のできない奴からのセリフが、

「いつでもSに申しつけください。

 週に2回は必ず、伺っていますので。」

 

となぜが、横取りされたような気が・・・

 

まぁね。

地元の納入業者なので

それが仕事なんでしょうね。

 

それも良しとしますが、

ほぼほぼ、私の完璧のプレゼンで

横取りされた感が強く残りました。

(笑)

 

現場への信頼関係は、

納入業者さんに受け持って欲しいんですけど、

ですから、そのできない奴のS氏の行動は

否定はしませんが、

『このタイミングか?』

と言いたくなるほどでした。

 

顧客からのウケが、

あまりにも良すぎたので

このタイミングで発言したのかもしれません。

 

顧客との距離感を一発で奪ったので

それにやきもちを焼いて発言したのかもしれません。

 

『100歩、譲ってもこのタイミングか?』

 

と憤りを感じました。(笑)

 

昨日、明示した

 

  1. 言われたこと以上の仕事をする人
  2. 言われたことだけの仕事をする人
  3. 言われたことの仕事もできない人

の2の王道を行く人のようでした。

(笑)

 

それで、ビジネスになっているのであれば、

それも、また然りでしょう。

 

しかし、個人的には、「嫌いなできない奴」と

烙印を押します。

(笑)

 

できない奴って、

【やっぱり、できない奴かなぁ?】

です。

 

1には、到底追いつかないのでしょうね。

 

難しいですね。

人のコントロールは。。。 

        

にゃんにゃん。。

 

昨日、水曜日のFXは

うろうろとしていましたね。

 

利確もあり、損切りもあり

と言う状況でした。

 

なんとなく、どっちに向かっていくんでしょうねぇ。

ともぼやきたいですね。

 

昨晩のNY市場が開幕して

なんか、上昇のようですね。

 

今日は、買いでトライしてみようかなぁ

と考えています。

 

まだまだ、様子見ですけど。

  

これも勉強ですね。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。