夢への軌跡_我が家にもサンタクロースは来るのかなぁ?

20161226_我が家にもサンタクロースは来るのかなぁ?

 

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【我が家にもサンタクロースは来るのかなぁ?】

 

おはようございます。

 

イブのクリスマスに娘のために

クリスマスプレゼントを購入した我が嫁に対し

『そこまですることないよ!』

「いやぁ、喜んでくれると思うから。」

『中学二年だよ!』

「でも、あの娘は違うから。」

『あら?そう?』

ということで、一生懸命準備したお母さん(我が嫁)でした。

 

ということで、今日のお題は、

【我が家にもサンタクロースは来るのかなぁ?】です。

20161226_sannta

10年前と変わらない環境で

寝ているすきに枕元へ置く習慣がある我が家です。

 

それを忠実に実行しているお母さん(我が嫁)です。

 

しかし、今回のプレゼントにはトラブル発生です。

 

娘は、いつも、サンタさんへの要望を手紙で書きます。

だんだんエスカレートしてくる娘の手紙に閉口気味のお父さんと

何とか、喜んでもらおうとするお母さん。

 

色々な内容が羅列しており、

全てを叶えるには、金額にして、20万円ほどかかりそうです。

お父さんはギブアップ、お母さんはそれでも頑張りました。

 

サンタさんへのお手紙への返信はお父さんから。

 

「今年は入院があって体力的に頑張りが必要な年でしたね。

喜んでもらおうと、文房具をプレゼントとして用意しました。

喜んでもらえるかなぁ。

TDRの件はお父さんにお願いしておきました。

お爺さん、お婆さんを大事にしてくださいね。学ぶことがたくさんありますよ。」

 

と言う内容でした。

 

プレゼントを置くにも、中学二年ですから、寝ないこと長い時間かかり、

お母さんは、丑三つ時を越え、午前3時に枕元へ。

 

朝起きて見ると、

「お父さん、サマンサのバッグをサンタさんは持ってきてくれなかったね?」

『サンタさんはお父さんにお願いして帰っていきました。』

「お父さんは、サンタさんと会ったの?」

『はい、会いました。』

「なんか、言ってた?」

『もう、中学生だから、このくらいだね。』って言っていました。

「やっぱり、ダメだったかぁ。」

20161226_sanntapurezento

影で我が嫁と、エスカレートした娘が、

サンタクロースの存在を理解しているのか否か不明なので

夫婦会議を行いました。

 

来年までには気づいてほしいですね。

我が家の経済事情とサンタクロースのプレゼントは正比例するのです。(笑)

 

ということは、「来年は、ルイ・ヴィトンのバッグだね。」

とは、我が嫁のセリフです。

 

お父さんは、常に前進して頑張るのです。

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。