夢への軌跡_ご近所さんとの関係

20190113_ご近所さんとの関係

 

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【ご近所さんとの関係】

 

1月13日 日曜日です。

 

おはようございます。

日曜日ですね。

 

3連休の2日目です。

東京では昨日、初雪でしたね。

 

私も池袋で待機中に、

『あれ?雪じゃん?』

と思いました。

 

すると、ラジオでは、初雪の情報が放送され、

実感する方が早いのもなんとなく優越感に

浸りました。

 

車中で待機中に

英語のトレーニングと漢字の練習を行なっていました。

 

まさに、日々、練習ですね。

 

流石に車中に4時間、閉じ込められていると

もちろん、運転はしていないので

疲れてきますし、空気の入れ替えを行いたい

という気持ちに駆られます。

 

しかし、移動もできないので

じっと辛抱です。(笑)

 

これが、小粒ちゃん(ネーネ)の土曜日送迎の

待機時間となります。

 

時間の有効活用を常に考えてはいるのですが、

ストレスとの闘いになっています。

 

『あと何年続くのか?』

 

お父さん的には、興味津々です。

(笑)

 

ということで、今日のお題は、

【ご近所さんとの関係】です。

 

お父さんが小粒ちゃん(ネーネ)の送迎中

お母さんは、被害にあったようです。

 

隣人から連絡があり、

「ゴミが溜まっているのよ。」

 

『ゴミ箱ですよね。知っています。』

 

「あら?知っているの?

 対処の方法はどうするの?」

 

『市役所に連絡済みです。』

 

「今のゴミ当番ってTさんよね?」

 

『そうですよ。』

 

「Tさんがやることですよね。」

 

『既に我が家で対応済みなのでご心配なく。』

 

「ガチャ!」

 

って切られました。(笑)

 

ちょっと変わっているんですよね。

 

どうやら、責任をTさんに押し付けて、

我が家をその変わった家族の味方につけたいみたいです。

 

私としては、

社会不適応者との関係については、

拒絶しているので

あくまでもお母さんの対応となるのですが、

 

その話を聞いて、

『へぇ、切っちゃうんだ。』

と思いました。

 

要は自分の目的に障害が生じたときには

相手がなんであろうと、

シャットダウンのようです。(笑)

 

そのお隣さんは、老婆と息子の二人暮らしなのです。

 

その老婆はオーバー80であり、

息子は60近いのですが、

社会人経験はゼロの様子です。

 

困ったもんですよね。

 

因みに今回の電話の相手は、

老婆の方です。

 

どうやら、スピーカーにして

息子も電話に参加してくるらしいのです。

  

たまに、我が家に、ピンポンと

鳴らしてきます。

 

『はい。』と私。

 

「奥様、いらっしゃいますか?」

 

『外出中です。』

 

「じゃぁ、いいです。」

 

ということが月に数回あります。

 

お父さんとしては、

特別、感知していないのですが、

あまり、気持ちの良いものではありません。

 

警察からブラックリストとして

名指しされている人物から

我が妻に対して、ピンポンですから。

 

私が居る場合、妻が居ても居なくても、

『外出中』というのが定番になりました。(笑)

 

本当に困ったもんです。

 

自分たちがご近所から疎外されていることに

全く、気がついていないようです。

 

お母さん曰く、

「頭が良すぎると、変わっちゃうね。」とのこと。

 

色々、話をしていると、

上から目線の発言と、

誰かれ構わずに批判する態度ですので

流石に嫌気がさしてきているようです。

 

我が妻・お母さんも。。。

 

そして、今回のように

自分の言い分が通らないようだと、

一方的に電話のガチャ切りでは、

誰も近付きたくないですね。

 

本当に困ったちゃんです。

 

このような人とのコミュニケーションは悩まされます。

 

今後の課題となりそうです。

 

【ご近所さんとの関係】は大切なのですが、

入り込んでもらいたくない、

そして、関わりたくない、

というのが本音でしょうね

 

今後のお付き合いの仕方に

嫌悪感を抱いています。

        

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

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福山 紫生(Syo Fukuyama

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。