夢への軌跡_親知らずを抜きました。

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【親知らずを抜きました。】

 

おはようございます。

12月24日土曜日です。

 

さぁ、今日は土曜日ですね。

昨日は暖かく、コートなしで過ごせました。

暑いくらいでしたね。

そういえば、木曜日も20℃を超えていた千葉県です。

 

気温も良く分からなくなりましたね。

娘の宿題を手伝っていて天気図を見ると

この時期にフィリピンでは台風発生です。

ビックリではないでしょうか?

 

さて、今日のお題は、【親知らずを抜きました。】です。

 

昨日、かかりつけの歯科医で左上の親知らずを抜きました。

ご存知の通り、親が知らないときに生えてくる歯だから

親知らずという名称だそうです。

 

成人して生えてくれば、親は知りませんね。

確かに。

 

その親知らず君は、私は昨日まで4本保有していました。

結構丁寧に歯ブラシして、頑張っていたのですが、

流石に、今回は「アウト」の宣告を受け、

抜くことになりました。

 

結局、虫歯になってしまったというのが本当のところです。

私の親知らず君は、主(あるじ)に似てへそ曲がりの為

斜めに生えています。

ブラッシングもしにくいのなんのということと

まぁ、なんと抜きにくそうな雰囲気でした。

 

『痛いよ!』と言うと、

医師も、注射をもう1本、

そしたら、『あれ?』という間に抜き去られました。

 

見てみると、大きいこと。

『へぇ、あれしか顔を見せていなかったのに

こんなに大きいんですか?』

「この歯の根っこが、斜めに食いついてて

なかなか手ごわかったですよ。」

と医師のセリフでした。

 

ガーゼにくるんだティッシュを詰め込んで止血したのですが、

夜になっても、出るわ出るわの赤い血。

 

久しぶりに、『貧血にでもなるか』と思い

食事中も、『まだ、とまってないな。』と思うほどでした。

 

だいぶ落ち着き、予想していたほどの痛みはなく、

腫れもなく、まぁまぁ、2~3日の違和感との戦いでしょう。

 

初体験の抜歯でした。

あまり、気持ちの良いものではないですが、

周りに脅されていたので、センシティブになっていたのも

否定できません。(笑)

20161224_huuhunote

特に、我が嫁さん、

「痛いよ、腫れるよ。上手なところに行けばいいじゃない?」

『私の言っている歯科医に、あなたは行ったことないでしょ?

だったら、わからないでしょ?』

「でも、〇〇さんのおうちは、絶対に行かないって言ってるよ。」

『そう?でも、予約が取れないほど混んでるよ。

それに、この近辺では長年開業しているから、信頼性はあるでしょ?』

なんていう、会話をしてから、歯科医に向かいました。

20161224_huuhukaiwa

そして、帰宅した際に

「どう、大丈夫だった?」

『大丈夫だよ。あのさぁ、心配してくれるのはありがたいけど

普段、仕事から帰ってくるときには玄関まで迎えになんか

来たことないくせに、親知らずを抜歯したときにはお出迎えですか?』

「・・・」

『明らかに、私が痛がるのを面白がっているんでしょ?』

20161224_huuhu

という夫婦の会話で今日はおしまいにいたします。(笑)

良い週末をお過ごしください。

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。