夢への軌跡_糖質制限33_そろそろ、花粉症の季節では?

20161221_糖質制限33_そろそろ、花粉症の季節では?

 

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【そろそろ、花粉症の季節では?】

 

おはようございます。

毎年、この季節になるとスギ花粉に悩まされる私です。

11月になると、『花粉センサー』が働き、初回くしゃみから、

鼻がずるずる状態になること、既に20年以上でした。

 

ということで、今日のお題は

【そろそろ、花粉症の季節では?】です。

 

私の『花粉センサー』はこれまで、意外と正確で

11月の上旬から、確実に症状が現れました。

 

毎日1錠ずつのアレグラを2錠に変更するのはこのころからですね。

そして、5月のゴールデンウィークまで1日2錠が継続していました。

 

アレグラという薬は今では有名ですが、

米国で1996年、日本で2000年の販売開始となります。

私の花粉症は高校時代からなのでそれ以前ですね。

 

それが、今年は、『花粉センサー』が、機能しません。

『さて、どうしたことか?』と考えて、

主治医に相談したら、

シャキシャキ江戸っ子女医さん曰く、

「そうそう、糖質制限すると、出てこなくなるわよ。」
とあっさり、切られました。

 

『まじっすか?

30年前に教えてほしかったわぁ。』

「そのころ、糖質制限はないのよ。」

『そうですね。』

 

糖質制限は2000年ころからです。

京都の江部先生の本が有名ですね。

色々な本がありますが、ご自身が糖尿人であることを

表しているので、最もしっかりしているのではないでしょうか?

 

『じゃぁ、これで、治っちゃうんですか?』

「そうね。症状が出なければ、治ったのも同然ね。」

『あの苦しみはないのですか?』

「出なければ、ないんじゃない。」

 

いやぁ、これまた、糖質制限の良さを実感しました。

ご存知の方も多いと思いますが、

昨年の今ごろ、糖質制限を開始して、

体重を13㎏落とし、HbA1cも6.0まで落とした結果、

花粉症まで出てこなくなったということは

素晴らしく、私の人生を変化させた療法ですね。

 

感謝感謝です。

食事内容はこのような感じです。

ご参考までに江部先生の書籍です。

 

 

これから、窓を開けていても、

スギ花粉を気にしなくて良いのは、『言うことなし』ですね。

 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。