夢への軌跡_ネコは感じる。

20181216_ネコは感じる。

 

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【ネコは感じる。】

 

12月16日 日曜日です。

 

おはようございます。

12月の第3日曜日ですね。

 

だからと言って、何もありませんけど。

今年もあと2週間ですね。

 

本当に月日の経つのは早いものです。

 

時間管理の重要性を昨日は感じることができました。

 

土曜日の午前中は、お買い物のお付き合いであったのですが、

『約束と違うじゃないか?』

 

とマジキレのお父さんでした。

(笑)

 

当初、「30分程度」と言っていたのですが、

待てど暮らせど、戻ってきません。

 

ラインでも返答なし、既読なし。

さらに電話では留守番電話と言う始末でした。

 

結果、ドラッグストアのみの買い物のはずが、

ドンキホーテまで足を伸ばし、

な・なんと、待ち時間は1時間半と言うこととなりました。

 

それも、路上で。

 

本来なら、駐車違反となりますね。

 

挙げ句の果てに、お母さんから出たセリフは、

「お父さんとは一緒に買い物には

 いかない方が良いね。」

 

『あのね。このクソ忙しい師走に

 どうしても買いたいものがあるからって

 路上で待たせておいてそのセリフですか?

 

 もともと行きたくない日であったんだから。

 もう、行かないよ。』

  

とお父さんもマジキレとなりました。

 

やらなくてはいけないこと、

やりたいこと

が大幅に崩れて、

時間を奪われました。

 

そうなのです。

その中でも、どうしても

昨日中にやらなくてはいけないことの中に

 

次女ミー(ミータ)の予防接種が

あったのです。

 

『じゃぁ、替わりに行ってきてよ!

 1時間以上は待つよ。』

 

「・・・」

 

と言うことで、今日のお題は、

【ネコは感じる】です。

 

午前中は、お父さんと一緒にいた

次女ミー(ミータ)は

非常にお利口さんで、

車中で、ぐっすり寝ていました。

 

そして、我が家家族3人のいざこざについても

「なにごと?」と言う感覚でのぞいています。

 

さらに、ケモノに触れると

人間は落ち着きます。

 

要するに、緩衝役になりきってもらっています。

  

存在意義が大きくなってきました。

 

日頃、車中に連れ込む時には、

おざぶを丸めて運びますが、

病院に行く際には、

携帯用のカゴの中です。

 

カゴの中に入れられた次女ミー(ミータ)は

不安を隠せず、

「ミャー」と時折、泣き出します。

 

そして、動物病院の玄関に入ると、

『ギャー』とカゴの中で暴れ出します。

 

他の犬やネコの様子を伺っているようです。

 

待ち時間は、約1時間です。

待合室に入りきれず、

車中待機の犬と飼い主さんも多くいます。

 

お父さんは、感じ取っている次女ミー(ミータ)に

触れながら、暴れ出さないようにおとなしく

相手をしてあげています。

 

昨日の医師は、院長先生でした。

 

初めましての状況であったのですが、

色々教えてもらいました。

 

ネコは、皮下脂肪ではなく、腹腔内脂肪。

体重が重くなると、動かなくなる。

上下運動を嫌がるようになると危険。

 

などなど。

 

雑学とも言える内容を

診察中に教えてもらいました。

 

次女ミー(ミータ)は夏の体重が3.01kgに対して

現在は、4.04kgとなり

人間でいうと、30kgの人が、40kgに半年で増加

してしまったということと同様です。

 

痩せるための策は、

一緒に遊んであげること。

以外では、

 

『リードをつけて、犬と同じように

 お散歩でしょうか?』

 

「そうだね。それも一理あるね。

 草むらとかには行かないで

 アスファルトの上だけね。」

 

理由は、草むらに行くと、ノミやダニが付いて来て

重症熱性血小板減少症候群(SFTS)

になる可能性も否定できないから気をつけなさい

ということでした。

 

草むらに肌を露出していると

人間でもダニをくっつけて来てしまうそうです。

 

いやぁ、たくさん勉強になりました。

 

予防接種を受けた次女ミー(ミータ)は

そそくさをカゴの中に入って

「ミャー」早く帰ろうよ。

と訴えていました。(笑)

 

昨日の待ち時間であった1時間は、

院長先生との会話で十分な価値がありました。

 

一応、業界人なので

言葉が理解できていて、院長先生も

会話が楽しかったのかもしれませんね。

 

そんな会話をよそに

次女ミー(ミータ)は、

「帰ろうよ。」の声とともに

カゴの中で大人しくしていました。

 

自我が出て来た、次女ミー(ミータ)も

成ネコとなりましたね。

 

【ネコは感じる。】

匂いと音と、雰囲気をしっかりと感じ取っています。

 

にゃんにゃん。

 

土曜日の朝、6時50分までは

チャートが動いていました。

 

3時起きであったお父さんは、

ポンド円とオージー円での利確を行い

そして、

更に、持ち越し狙いのエントリーと行いました。

 

動かないドル円が、下がってくると

ポンド円、オージー円は

更に下がってくるのではないか?

 

という福山的読みです。(笑)

 

そのような読みができるようになったのも

色々なところからの情報ですね。

 

過去の経験値の共有ということで

今日の勉強会に参加します。

 

今日、12月16日の日曜日の午前です。

開始時刻は10時です。

 

無料セミナーなので

興味のある方は、申し込んでくださいね。

 

若干の空席があります。

 

そして、

私のところへ来ていただければ、

お話も可能ですよ。

残席僅かですのでご注意ください。

 

https://fukuyama-syo.com/12

 

福山は当日参加しています。

  

にゃんにゃん。。

 

【2018_最後の無料FXセミナー】

  

FXで勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

短い時間で完璧を目指しましょう。

一人で悩んでいても複数の人間には負けてしまいます。

 

3人寄れば・・・

とは良く言いますよね。

 

紹介者の欄には「福山」と明記してくださいね。

 

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学ぶことにより、

大きな成長がわかりますね。

    

しっかりと学んで、しっかりと結果を残す

ということが必要ですね。

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。