夢への軌跡_信じる者は救われる

20161219_信じる者は救われる

 

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【信じる者は救われる】

 

おはようございます。

今日は月曜日ですね。

私にとっては、今年最後の週となります。

来週は月曜日午後に少し、仕事があるだけなので

今週に全力投球ですね。

 

さて、今日のお題は、

【信じる者は救われる】です。

 

特別、新興宗教をお勧めするわけでもなく、

何事も、信じた道をまっしぐらに進む人が強いというお話です。

 

全ての事象について、

継続するには、信念が必要ですね。

信念とは、疑わずにまっすぐ進むことです。

 

昔々、はるか大昔に

50mを10秒以内で走れる人はいませんでした。

 

従い、『できない』というのが当たり前の時代に

肉体改善をして、50mを9秒台で走った人がいました。

 

一人がその壁を乗り越えると、

あれよあれよという間に、どんどん、

壁を乗り越える人が増加します。

 

次第に、50mは10秒以内で走ることが当たり前となります。

今では、100mが10秒以内ですよね。すごい進化です。

 

したがって、自分でブロックを作ってしまうと前には進まない

という状況に追い込まれます。

 

何事も最初は肯定してから、取り組みたいですね。

それが、進化ですから。

 

最初から「できない」と思っていると本当に出来ないですよ。

『できる』と思うとなんでもできてしまう

不思議な状況となります。

 

これも考え方の一つですね。

常になんでも、チャレンジ精神を持っていれば、

必ず、前に進みます。

 

諦めないことが最も大事なことですね。

 

今日の画像は、昨晩の丸の内仲通りです。

イルミネーションがきれいですね。

20161219_marunouchi

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。