夢への軌跡_知らなかった、料金別納郵便!!

20181209_知らなかった、料金別納郵便!!

 

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【知らなかった、料金別納郵便!!】

 

12月9日 日曜日です。

 

今日の我が家は、それぞれがやることを抱えており、

「どうこなしていくのか?」 

ということがテーマになりそうな日です。

 

小粒ちゃん(ネーネ)は試験勉強。

 

お母さんはそのアシスタントと家事。

 

お父さんは自治会地区部長としての活動と

通常業務、更には、レポート作成、

DM作成、ネット関連整理、確定申告準備、

洗車、草取り、

などなど。。。

 

何から手をつけて良いのかがわからないくらいです。

 

そして、大掃除も待ち受けていますね。

 

さて、お父さんは何を優先していくのか?

非常に微妙です。

 

更に寒くなってくると、洗車はこたえます。

 

でも、天気が良さそうなので、

ちょっとトライしたいなぁとも考えています。

 

今日はどのように過ごすかは、私次第なのですが、

時間の絡みがあり、

何を優先するかにも影響します。

   

さて、今日のお題は、

【知らなかった、料金別納郵便!!】です。

 

日本には非常に便利な郵便があります。

 

私は知りませんでした。

 

自分の顧客がテリトリーに約500件あり、

全てを訪問することは難しいということを。

 

では、頼るのは、ダイレクトメールです。

俗称、DMですね。

 

良く送られてきているのは理解しています。

 

それが発端でモノを購入したこともあります。

(笑)

 

現在、ジャパネットのDMがあり、

「見ようかなぁ!」

とも考えていました。

 

そのダイレクトメールですが、

料金別納郵便は個人でも利用可能なんです。

 

私の場合、個人で発送して、

経費は企業につける形となりますが、 

一旦は立て替えます。

 

『いちいち、切手を貼るのかなぁ?』

と考えていたのですが、

 

ある郵便局では、非常に昭和的で

「我々で切手を貼ります。

 切手について好みはないですよね?」

ということから、

 

『郵便局で余った切手を利用するから、

 そのまま持っていけば良いんだなぁ。』

 

と考えていました。

 

すると、都心の次の郵便局では、、、

(笑)

 

「切手を貼るのはお客様の作業となるので、

 我々はお手伝いできないのです。」

 

『余った切手を利用するのでは?』

 

「それを販売することは可能ですが、

 貼付することは、お客様の作業となります。」

 

『へぇ、そうなんだ。』

と理解して、

 

今までの地方郵便局では、

「売れ残った切手を販売したいがために、

 サービスで貼付を請け負っていた。」

ということがわかりました。

 

『では、どうすれば、一番良いか?』

と尋ねたところ、

 

「お客様でダウンロードした

 料金別納郵便マークを貼付して、

 伝票に記入して、まとめて受け付けます。」

 

ということが理解できました。

 

しかし、ここで大きな問題発生です。(笑)

 

郵便局がダウンロードを指示している

ダウンロードファイルは、

 

「イラストレーター」

 

なのです。

 

ほぼほぼ、一般のPCで保有している

アプリケーションではありません。

 

私の場合、理由は理解して、

次の作業に移ろうとした段階で

壁にぶつかったので、

 

イラストレーターファイルを

転送して、

PDFにしてもらいました。

 

一般企業のマーケティングでは

イラストレーターというアプリは、保有しています。

 

そのPDFをスニッピングをして、

宛名ラベルに貼付しました。

 

これにて完璧です。

 

郵便局で伝票を記入さえすれば、

あとは問題なく、前進できるようになります。

 

例え、都心の郵便局でも。。。

 

地方の郵便局にしてみると

受け取りは楽なのですが、

 

売れ残りの切手の販売ができないので

「困ったちゃん」かもしれません。(笑) 

 

これは、DM作成時には、必須ですね。

 

非常に楽に受け付けてもらえます。

 

あまり、利用することのなかった

郵便局ですが、

 

この件で、自分のやるべきことと、

相手が気持ちよく受け入れてもらえることが

理解できました。

 

本当に、【知らなかった、料金別納郵便!!】です。

 

郵便局もイラレファイルではなく、

PDFにすれば、良いのになぁとも思います。

ということで、  

お父さんは、やること満載です。(笑)

 

土日に関しては、FXはお休みなので、

ゆっくりとレポートを書きたいなぁとも

思いますが、

前述の作業が待っているので、

なかなか、難しいですね。

 

月曜日は10日、ゴトー日です。

 

エントリータイミングは間違えないように。

    

確実に利益を生むために常に

トライ&エラーですね。

  

このようなマインドを形成するのが

やはり、セミナーです。

 

ご興味あるようでしたら、

12月16日、日曜日に東京でお会いしましょう。

 

残席僅かですのでご注意ください。

 

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福山は当日参加しています。

  

にゃんにゃん。。

  

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FXで勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

短い時間で完璧を目指しましょう。

一人で悩んでいても複数の人間には負けてしまいます。

 

3人寄れば・・・

とは良く言いますよね。

 

紹介者の欄には「福山」と明記してくださいね。

 

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学ぶことにより、

大きな成長がわかりますね。

    

しっかりと学んで、しっかりと結果を残す

ということが必要ですね。

 

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#FX

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。