夢への軌跡_組織変更に伴う減給あり?

20161214_組織変更に伴う減給はあり?

 

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【組織変更に伴う減給はあり?】

 

おはようございます。

木曜日です。今朝は八戸です。

移動距離は2日間で約600キロ。

もうこの移動も今年限りです。

 

来年からは関東の人間となります。

会社って面白いですね。(笑)

都合の良いように従業員を動かして

顧客をしっかり考えていないかもしれませんね。

 

さて、今日のお題は

【組織変更に伴う減給はあり?】

です。

 

昨日朝、上長から電話がありました。

今年限りの上長です。

「福山さん、金曜日に東京に戻れますか?」

『月曜日に出張申請しましたよね。戻りは金曜の夕方です。』

「その前に、東京に戻ってほしいんですけど。」

『では、金曜日のアポをすべて飛ばして良いのですね?』

「・・・」

『今年最後の東北出張ですよ。』

「・・・」

『本当に顧客のことを考えているのかが疑問です。』

「人事総務絡みの内容なので・・・」

『給与減額ですか?』

「その類になるとおもいます。」

『では、仕事の前の面談はよろしくないですね。

法律上、給与減給には理由がつきものですから。

例えば、パフォーマンスがよろしくない、

ルールを守らない。

日報を書かない。

などなど。』

「それは、ないです。単なる組織変更に伴う役割変更です。」

『では、給与とは関係ないですよね。』

「いや、それが・・・」

『そうなら、弁護士付けた方が良いですよ。

お互いの不愉快のネタになりますから。

また、業務終了後にしてください。』

「わかりました。改めて連絡します。」

 

このような会話を朝一番から行い、不愉快極まりない心境で

顧客回りを再開しました。

本当に辛いですね。

とも思いましたが、ある意味チャンスかも?

 

と捉えて、私は、調べまくりました。

i-Phone6で。

 

やはり、まずいみたいです。

私の所属する企業は、まずいことをやらかそうとしています。

 

面談後に改めて報告しますが、

企業としては、ブラックに属してしまうかもしれません。

やばいやばい。

 

今日の画像は津軽で駐車場にまとめられた雪です。

日本は広い、本州も広いと感じたシーンでした。

20161214_hirosaki

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。