夢への軌跡_七田眞という男

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詳細はこちらです。

【七田眞という男】

 

おはようございます。

 

さて、今回のお題は、【七田眞という男】です。

 

おそらく、一度は誰もが耳にしたことのある名前でしょう。

『七田眞』さんですね。

既に亡くなられているのですが、著書や教育関連において

非常に有名な人ですね。

 

少し、興味があったので調べてみました。

もともと、中国で生まれ、島根県で育っていたようです。

2009年に亡くなるまで教育研究家として活動を続けていました。

 

まず、七田眞という名を耳にすると『右脳の開発』と考えるでしょう。

その前に「右脳と左脳はどう違う?」と思い、調べてみました。

 

ご存知の通り、右脳には感性や感覚を司る機能があり、

五感に影響する機能は全てこちらに属しているようです。

鍛えることにより、記憶力、創造力、決断力が高まると言われています。

 

また、左脳には言語を司る機能があり、

論理的である。計画性がある。正確性が高い。理性的である。

という表現が適切なようです。

 

右脳を理系脳、左脳を文型脳と言われるそうです。

「コミュニケーションがちょっと・・・」というのは理系脳です。

従い、利き脳が右脳であるということとなるようです。

 

では、七田式はなぜ、右脳開発なのか?

幼児期については、先生となる方は両親ですね。

その先生は、子供に対し愛情を注ぎながら、

社会的ルールを教えようと努力します。

すると、左脳の開発に力を注ぐこととなります。

 

幼児期の可能性を極限まで引き出すためには

創造力、決断力、記憶力の開発が必要となるため

その先生に右脳開発の教材を提供しているのですね。

 

この右脳の開発を成人でも行なって

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600の例文を確実に覚えて日常会話を完璧にしましょう。

というコンセプトですね。

この600の例文によって、ほぼコミュニケーションは

問題なく、行えるでしょう。

私が例文を見る限りでも、ビジネスには少しレベルが

低いかもしれませんが、日常会話や海外旅行、

2020年のオリンピックでの外国人来日者との会話は

問題なくこなせると感じています。

 

そして、2017年に英語をマスターしたいという人には

今、素晴らしい情報が入ってきました。

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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2 件のコメント

  • 福山さん、こんにちは。
    はまぞふです。

    幼児期に、右脳を開発することは、
    重要なのですね。

    確かに、幼児期にはいろんなものに影響を受けやいですからね。
    そういう時期に、脳のためになる事をするのは、
    今後の発達にも良い影響を与えることは出来そうですね。

    僕も、外人恐怖症ですからね^^;
    こういう英語の教材は気になりますね^^

    チェックしておきます。
    応援完了です^^

    • はまぞふさん 
      コメントありがとうございます。大人が頑張る英語教材ですので。
      右脳をしっかりと鍛えて600フレーズを覚えるだけで外人恐怖症克服ですね。
      応援ありがとうございます。

      福山 紫生

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    ABOUTこの記事をかいた人

    はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。