夢への軌跡_師走の声を聞くと・・・

20161202_師走の声を聞くと・・・

 

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【師走の声を聞くと・・・】

 

おはようございます。12月ですね。

しばらくは、自宅で朝を迎えられます。

 

昨日は、東京へ入り、千葉で仕事をして、

また、東京へ戻り、終了後、国道6号を北上しました。

 

東京に入るのに2時間半、(約30キロ)

6号線を北上して松戸まで帰るのも大渋滞でした。

 

さて、今日のお題は、【師走の声を聞くと・・・】です。

どういうわけか、皆さん、急いでいるのでしょうね。

非常に車も多く、事故も多かったと感じました。

 

警察の方も対応に追われ、車線規制で

他の車も大きな迷惑を被りますね。

 

物損だけであれば、良いですが、

人身ともなると、非常に長時間影響します。

 

今年4月に私も追突に遭いました。

物損の修理費用は総額50万円、

人身の慰謝料含め治療費が50万円。

全て、保険屋さんが対応するのはわかっているのですが、

加害者である方からは、それ以来、連絡をもらえていません。

 

今どきは、こういう時代なのかなぁと感じます。

反面教師として、私も考えましたが、

事故を起こすと、人身の場合、

受傷した人の時間を奪います。

 

時間だけなら良いですが、

痛みも伴います。

 

非常に大事なことですね。

やってしまった後は仕方ないですが、

事故には遭遇せずに安全運転で過ごしたいと

改めて考えました。

 

東駒形3丁目東交差点での4台の事故。

20161201_jiko1

青砥4丁目の中央分離帯への単独激突事故。

20161201_jiko2

双方とも帰宅時間の出来事です。

 

12月とは言え、時間に余裕をもって

移動しましょう。

 

事故や怪我は取り返しのつかない状況となります。

 

皆さん、お気をつけてくださいね。

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。