夢への軌跡_2020年東京オリンピックに向けて

20161126_2_2020年東京オリンピックに向けて

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【2020年東京オリンピックに向けて】

 

こんばんは。本日二度目の登場です。

 

自宅でゆっくりしていたら、ちょっと気になる

オリンピックの話題が提供されました。

 

2020年には東京オリンピックが開催されますね。

大勢の海外からのお客様がやってこられます。

 

東京だけではなく、地方都市にも訪問することでしょうね。

1964年に東京オリンピックが開催され、

当時、私は生まれていません。(笑)

 

その時の話題を今でも新聞記事として

両親が残していたという話を聞いています。

 

ということで、お題は、【オリンピック】です。

当時の都知事である、猪瀬さんと滝川クリステルさんが

大きくクローズアップされ、

『お・も・て・な・し』という言葉を流行させたのは

まだ、耳の残っていることでしょう。

 

今は、小池都知事が、宮城県と共同で

開催できないものかと、いろいろな難問に

取り組んでいますね。

 

豊洲市場やオリンピックの経費の問題ですね。

 

では、私達には何ができるのか?

と考えたときに、

『少しは、貢献したいなぁ』と誰もが考えるのではないでしょうか?

 

『でも、何ができるだろう。』と思うと

しっかりと税金を納めて、ということと

自分の生活を営んで、という内容に過ぎず、

特別、大きなことにチャレンジすることは

出来ないような気がしますね。

 

しかし、できることがあります。

私は、英語学習を推奨したいのです。

日本人の中で、しっかりと英会話ができる人は

約10%程度と言われています。

 

もう少し、少ないかもしれません。

『英語を学ぶなんて、どこから始めたら良いのか?』

と思うかもしれません。

 

【七田眞】という人をご存知でしょうか?

七田さんは既に亡くなっておられますが、

右脳の教育に貢献した教育者です。

 

自分の子供が幼稚園か小学生低学年であれば、

一度は耳にしたことのある【七田式】です。

 

今までの学校教育とは少し、異なる

学びの力を習得してみてはいかがでしょうか?

左脳だけではなく、右脳をしっかりと利用し、

学習して、600のフレーズを覚えてしまえば

英会話もほぼ、完璧ですね。

 

色々な英語の言い回しはありますが、

そこまで奥深く勉強するのは、その後でもOKです。

 

とりあえず、苦手意識をなくして、

「2020年、町で見かけた外国人観光客に英語で会話をする。」

という目標を掲げても良いと思います。

20161126_eikaiwa

日本人は、非常に遅れています。

先進国でここまで英語が普及していない国は

ないと言えます。

 

西欧では、母国語と英語は必ず、習得して大学に通います。

ましてや、大学はオックスフォードのような英国が多く

英語圏で学習します。

 

そのような環境の差が、現在の日本人の英語離れを引き起こしています。

それほど、難しい内容ではないので、

やるかやらないか、トライするかしないかだけです。

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600のフレーズを覚えてしまえば、

町中で外国人を見ると話したくなります。

これも趣味の一つですね。

 

2020年までに一緒に英語を学びませんか?

今までの英語教育は左脳の教育、

これからは、右脳の感覚で覚えていく教育です。

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しっかりと学習すれば、必ず効果があります。

ましてや、返金保証付きですから安心ですね。

 

英語は難しくありません。

感覚で覚えましょう。

自己投資をして、2020年を迎えましょう。

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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試してみませんか?失うものはありません。

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招待IDは、HBLQXK です。コピペがお勧めです。

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そのような、≪もったいない病≫の人は日本人に多いですね。

視野拡大のパラダイムシフトです。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。