英語が自分の将来の壁になっていませんか? 年齢に関係なく、いつからでも再スタートができます。

英語が自分の将来の壁になっていませんか?

年齢に関係なく、いつからでも再スタートができます。

詳細はこちらです。

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実は、私も英語で苦労しました。

国内輸入商社でマーケティングの製品担当として、海外の商品開発をしていた時、

どうしても通じない英語となってしまうのが悩みでした。

 

とりあえず、面談となりFace to Faceであれば、

なんとかコミュニケーションを図ることができましたが、

電話となるとリスニングの力とスピーキングの力の双方が必要となり、

沈黙となることが多くなりました。

 

海外の担当者からは、

“Silence is agreeing in Japan.” ⇒ 沈黙は納得しているんだね。

と揶揄させることもありました。

 

それもそのはず、

海外では英語で自己主張をしないと存在意義がなくなってしまいます。

ある程度の努力はしましたが、

とりあえず、電話でもビデオ会議でもなんとか理解できる程度まで向上させました。

 

その後、外資系企業へ移籍し、

業務を遂行していくうえで、良く垣間見ました。

営業の管理職の方が海外の顧客とのコミュニケーションを図るのに

苦労している姿を。。。

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あなたもそのような状態に陥っていませんか?

 

自分はとりあえず、クリアしているものの

『他の人はまだまだ苦労しているのだなぁ』と感じました。

 

特に外資系企業の場合、英語は管理職にとっては必須です。

営業だからと言って逃げてはいられません。

海外からのキーパーソンが来日した場合、

日本の事情を理解してもらうために、顧客回りを行います。

 

【英語は話せて当たり前】という海外の人とのコミュニケーションには

冷や汗をかきながら、対応している姿を良く見ます。

 

そのような交渉の場に、英語がつたなくても

伝わるコミュニケーションができれば良いと思いませんか?

 

また、少し、上達すれば、海外勤務の可能性も広がってきます。

そして、2020年の東京オリンピックまでには、

海外からのお客さんが多く来日し、

交差点で道を尋ねられることもあるでしょう。

 

そんなとき、かっこよく

対応できれば、周りの目も尊敬のまなざしで、

自らの株も急上昇となるでしょう。

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そのためには、まずは勉強です。

しかし、ここで、また不安がよぎります。

 

・何からやったら良いのだろう?

・どのくらいの期間、勉強したら良いのだろう?

 

まずは2か月間、やり通しませんか?

今まで中学・高校・大学と10年間も英語を勉強して

全く話せないわけがないのです。

 

あなたが持っている力を発揮できていないだけなのです。

 

今回、ご紹介するプログラムは

2か月間、60日間、頑張って、

仮に成果が得られないとしても、返金保証があります。

 

あなたの努力を無にはしないプログラムですね。

是非、お試しください。

https://fukuyama-syo.com/s7pf

 

そして、お子さんのいる方は、そのまま、お子さんにも使うことができますよ。

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一石二鳥ではないでしょうか?

自分の英語力向上による昇進と

お子さんの英語力向上による成績アップ

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なかなか、この内容で全額返金保証を約束しているプログラムはないですね。

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福山 紫生

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。