夢への軌跡_老いた両親との会話と肉体労働

20161123_老いた両親との会話と肉体労働

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【老いた両親との会話と肉体労働】

おはようございます。

勤労感謝の日の水曜日ですね。
昨日の地震では、多くの方に心配していただきありがとうございます。

昨日の朝は、前述のとおり、
地震発生前に家を出ており、車中で地震を感じたようです。
というのも、全く気付かず、
『街灯が消えているなぁ』と不自然な状況を感じるだけでした。

地震が発生すると、電車が止まる。
電車が止まるとクルマが動く。
クルマが動くと道路が混む。
という、現象が起こります。

従い、時間までに娘を学校に連れて行くため、
頑張りましたが、こういう事情であれば、
遅刻も致し方なく、まぁまぁ、臨機応変に対応するであろう
と渋滞中のラジオを聴いていました。
娘は、「どこ吹く風?」という状態で後部座席で爆睡。
『幸せな娘だなぁ』とバックミラーで確認しました。

こういう時はお父さんと一緒にいることが
娘にはパニックを起こさず、安心感があるようです。

その後、娘を降ろし、実家へ走りました。
茨城県南部に住む、私の両親は、定年後の余生を
東京から引っ越し、20年近く、そこで暮らしています。

80にもなると、自分たちで生活するのがやっととのことで
庭の手入れを依頼してきました。

今日のお題は、
【老いた両親との会話と肉体労働】です。

到着したのは10時前、できれば、14時くらいには
終わらせて、帰りたかったので、
そそくさと業務遂行となりました。

電動の草刈り機を片手に、『ビィーン、ビィーン』と
大きな音を立てて、家の周りの草刈りです。

これが、老いた両親にはできないとのことですが、
はっきり言って、私にも厳しかった【肉体労働】でした。

4時間、みっちり、動きました。
刈るのはそれほどでもないのですが、
刈った草を集めて廃棄するのに一苦労でした。

アラフィフの私には、昨年、楽に出来たことが
毎年、厳しくなるのかなぁと感じました。
自分では、永遠の35歳のつもりなんですけど。(笑)

その後、30分だけ、【老いた両親】の話相手をしました。
日頃、あまり、誰とも話さないせいか、
「止まらない、止まらない。」
聞くだけでも疲れてしまいました。

これも親孝行の一つだと認識しました。
私も後悔のないようにお付き合いしたいと思います。

そそくさと帰ろうとすると、
「まだ、いいじゃないか?」
『娘が待っているから。今、英語と数学の家庭教師役なんだから。』
と言って、逃げてきました。

予定通り、帰路の娘を駅でピックアップして、
家路につきました。

朝4時半起床での長い一日でした。
6連休中の5日目ですが、腰痛緩和でスケジュール通りにこなし
後は、今日の勉強会参加のみです。

今日、渋谷に向かいます。
参加される方は、お会いしましょう。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。