夢への軌跡_姿勢の重要性

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なんでも、気持ち次第で、切り抜けられます。
幸運の女神は正しい姿勢の人の後押しをします。

詳細はこちらです。

突然ですが・・・
あなたは悩みを持っていますか?

きっと、お金の問題を抱えている人が多い世の中で
【会社員】と言う奴隷のような仕事をして
家族を守っているお父さんが多いのではないでしょうか?

頭を抱える前に、胸を張りましょう。

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「何事もプラスで考えるんだよ」とは言われるけど
この状況で何をプラスで考えたら良いのか、わからないよ。
と思っている人も胸を張りましょう。(笑)

世の中に成功者と呼ばれる方とあなたとの違いは
ちょっとしたことです。
「そのちょっとしたことが、何なのか?」
考えたことはありますか?

『それは、目標設定だよ。』
『もともとお金持ちなんだよ。』
『環境が違うんだよ。』
とかとか
いろいろ、想像できますね。

でも、何が最も大事かは
体は心を示す如く、【姿勢】です。

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いつ、どのようにしても、その姿勢が関係してきます。

気持ちは非常に大事です。
その気持ちが姿勢に表れるのです。
だから、逆に姿勢を良くすることで
気持ちを変えるのです。

ある意味、暗示ですね。
しかし、その【暗示】を侮ってはいけません。

【暗示】は英語にすると【suggestion】です。
中学英語でよく出てくる単語の【suggestion】は
日本語に直すと、【提案】です。

面白いですよね。

自分を【暗示】にかけると、新たな【提案】が生まれてくるのです。
自分に【暗示】をかける方法があれば、面白いですよね。
それが、【姿勢】なのです。

その『【姿勢】を良くしなさい。』と言われても
「なんで?」と感じるかもしれませんね。
その理由は、こちらから確認してください。
https://fukuyama-syo.com/tcq1

きっと、役に立つと思います。
金額は無料です。
安心・安全なスタート切って、姿勢を良くして
前見て、お父さんは頑張らなければならないのです。

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日本のお父さん、頑張りましょう。
https://fukuyama-syo.com/tcq1

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。