夢への軌跡_出来る・出来ない営業マンの見分け方

20161118_出来る・出来ない営業マンの見分け方

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【出来る・出来ない営業マンの見分け方】

おはようございます。

今日も千葉の自宅です。
今日から〇連休です。(笑)
10月の土日をつぶして、業務をこなしていたため
その残りを秋休みとして今回取得することにしました。
〇連休の意味は、いつ呼び出されるかわからないので
とりあえず、3連休以上6連休以下ということとなります。
不確定要素満載の私のお休みです。

さて、今日のお題は、
【出来る・出来ない営業マンの見分け方】です。

私はメーカーとして、医療機関への訪問を行っていますが、
納入業者と呼ばれる、
その医療機関に根付いた地域の代理店担当者という方がいます。
その方々は、医療機関へ納入する製品をメーカー問わず、
取引可能なので、非常に大きな額を動かすことができます。

一人当たり、〇億円という金額です。
なぜなら、医療器械で資産形成(減価償却)するような
製品については高額であるからです。

そのような状況の中で、
私も地域に根付いたその担当者との取引を行うわけですが、
『まぁ、いろんな人がいます。』
十人十色ですから、様々な個性があって良いのですが、
年齢的にも私と同年代、一回り下の人、子供のような人と
お仕事を共に行います。

人によっては、全く理解できていなくて
一から十まで全部説明しなければならない場合もあり、
『ぐったりする』こともしばしばあります。

昨日は、ある有名な東京の医療機関へ訪問し、
代理店担当者と同行をしてきたのです。

特別、何ら問題はなかったのですが、
その後、別の病院の担当者とも同行した際、
『何かが違う』と感じました。

『波長が合う』というレベルではなく、
私が付いていくとそこには、
市場が待っているという状況に
お膳立てしてくれているのです。

ちょっとびっくりでした。
前の施設で同行した担当者でも不自由はなかったのですが、
改めて一日に二人、違う担当者と同行すると、
明らかに違いが見えてきたのです。

医師との面談前に、
面談目的と紹介内容を打合せし、
『じゃぁ、行きましょう』となると
その担当者は、私のことをティーアップし、
自分の位置を下げました。

20161118_thiappu

ティーアップとは、Aさん、Bさん、Cさんの3人で
BさんがAさんにCさんを紹介するときに
Cさんを持ち上げて、AさんのCさんへ対する印象を良くすることです。

それがしっかりと行えていることに
ちょっとびっくりしました。
そのBさんは、何事にも打合せをする際に
共通のゴールを探すことが非常に得意です。

ですから、話の内容がスムースに進み
短時間でお互いの方針が理解できるということなので
私もBさんに会うときには非常に楽しみにしているのです。

単なる紹介場面での設定ですが、
自分も常にBさんのように、
誰かをティーアップして紹介すれば、
商談が速く進むのかもしれないと
考え直しました。

また、これが自然にできるところが素晴らしいですね。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。