夢への軌跡_帰宅後の大波乱かも?

20161117_帰宅後の大波乱かも?

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【帰宅後の大波乱かも?】

おはようございます。

今日は千葉の自宅です。
昨日、戻ってきたところ、やはりレポートが待っていました。
動物の観察記録です。(笑)

14日(月)に嫁と共に画像入手で上野動物園へ
そして、文言は嫁が作成しました。
必要なのは画像ということで、
自宅に戻ってから、慌ただしい時間が経過しました。

今日のお題は、【帰宅後の大波乱かも?】です。
お父さんとしては、言われた通りに動くだけなのですが、
画像が大きいの、小さいのといろいろ
文句が多いので、さすがに疲れていたお父さんは、
『どの画像がどの大きさで必要なのかを言ってください。』
と半ば、切れかかりました。

とは言え、刺激と反応の間には、自由空間があり
その自由空間をどのように使用するのかは自分次第です。
ということを、念頭に、いろいろとお手伝いしました。

『これが、中学二年生の宿題か??』と
あきれ顔をお父さんを後ろ目に、娘とお母さんの格闘が
始まりました。

娘としては、「何でも良いから、期限内に提出したい。」
お母さんとしては、「良いものを提出したい。」
という双方の気持ちが入り乱れてしまい、
お父さんは印刷するだけの世界にはまり込みました。

結果、娘が敗退し、お母さんの宿題となりました。
娘は数学の計算問題をやっています。

『これで良いのか?中学生?』と問いかけたい
お父さんは、ぐっと我慢しました。

そもそも、宿題の内容があまりにも細かく
これを、中学二年生にやらせるのか?
とお父さんも宿題にはあきれ顔でした。

過去にも、ザリガニの解剖レポートや
理科系の宿題が多く、『うーーーん』と
言いたくなるような女子校です。

それで、お父さんは技術屋さんのように使われています。(笑)
我が家の戦争状態ですね。

『あー、出張に行っていれば、そんな巻き添えにも遭わずに・・・』
と考えてしまう、お父さんの私はずるいでしょうか?
と考えながらも、しっかりとお手伝いをしています。

ハシビロコウが一番のヒットですね。
あー疲れた。本音です。

20161115_hashibiroko

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。