夢への軌跡_仙台の憩いの場所かも?

20161116_仙台の憩いの場所かも?

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【仙台の憩いの場所かも?】

おはようございます。

今日は仙台で朝を迎えました。
なんとなく、気持ち的に関東より寒く感じますね。
一仕事を終えて、帰京します。
東京に帰るから、帰京なんですが、私は千葉に戻ります。
でも、帰京という?

さて、今日のお題は【仙台の憩いの場所かも?】です。
誰もが、出張時の楽しみはそれぞれ、異なるとは思います。
私は、ここのところ、はまっているのは【調圧ルーム】です。

50分が1クールで、12回程度1000mの高度まで上昇し、
気圧の変化を楽しむという内容です。
気圧が変化することに体が付いていくと
エネルギーが溜まるということらしいのですが、
今のところ、私は、実感はないのです。(笑)

20161116_atomos1

しかしながら、50分間爆睡してくると
スッキリして、気分が良くなるので
それなりの効果があるのだと思います。

この頃は慣れたもので、
長椅子にシートを敷いて、クッションを枕に
そして、寝る。
というパターンを繰り返しています。

20161116_atomos2

そもそも、FB友達のうはらさんから紹介してもらって
通うようになりました。
幸い、宿泊先のホテルに近いということで
仙台泊の際には、かかりつけ医のように通っています。

スタッフの方も優しい女性陣ばかりで
癒されに行くような感じですね。

因みに料金は、初回は500円。
回数券は、6枚で8100円です。
通年会員になると、10万円くらいで入り放題です。

私の知る限りでも、3時間入りっぱなしの人がいました。

たまたま、通ったときに地元のTVの撮影があり、
インタビューを受けました。
福山 紫生は、仙台でTVに映ってしまいました。(笑)

まだまだ、始まったばかりの店舗ですが、
他にも【調圧ルーム】があるようなので
試しに行ってみるのもお勧めですね。

20161116_atomos3

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http://at-mos.com/

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。