夢への軌跡_10年後の自分の仕事は・・・

20161112_10年後の自分の仕事は・・・

詳細はこちらです。

【10年後の自分の仕事は・・・】

今回は、自分の仕事を振り返り
このままこの仕事で食べて行かれるのかどうかを
じっくりと考えてみましたので
参考までにご覧ください。

現在、私、福山 紫生(Syo Fukuyama)は
医療関係の仕事をしており、
病院に消耗品を販売しているメーカーの営業となります。

『この仕事は10年後も存在するのか?』と
真面目に考えてみました。

現在、AI(artificial intelligence/人工知能)が
さまざまな分野で開発され、
非常に高く市場に貢献しているようです。

例えば、企業の受付には
【ペッパー】くんが使用されており、
その【ペッパー】くんの画面をタッチすることにより
担当者を呼び出すというシステムを採用している
企業もあります。

20161112_pepper

また、AIではないですが、
宅配便についても【ドローン】が一部を肩代わりして
非常に届けにくい場所への配達を検討しているようです。

タクシーもシステムが、次第に変化しており、
『ユーバー』というクレジットカードで事前決済と
車種を選択できる融通が利用価値を上げています。

今後も多くの新規参入が見込めるでしょうね。

さて、医療機器の営業は、
『現物』をもって、『顧客』に『使い勝手』を
説明することが主であり、
既存顧客には、フォローアップとかねて
添付文書と同様の内容をかみ砕いて
口頭で説明を行っています。

今後は、一般化した製品については、
インターネットのホームページを利用し
取り扱いを説明するビデオで十分カバーできる
のではないかと感じています。

しかしながら、新規製品については
しっかりとした説明が必要であり、
取り扱い方法も詳細説明を行わないと
医療事故につながる可能性があるので
十分な注意が必要です。

となると、新規製品のない企業は
『医療業界では生き残れない』とも
言えるわけです。

やはり、次のステップが必要かもしれませんね。
特にSNSを使用したインターネットの世界は
スピードが速いので、付いていくことも努力が必要ですが、
今後は、インターネットがないとビジネスにならないとも
言えるでしょうね。

回線とパソコンがあれば、生活のできる状態となりそうです。
既に足を踏み入れている方は、ラッキーだと思います。
もしも、【はじめの一歩】をどうしようと
考えているのであれば、まずは無料から始めてみるのは
いかがでしょうか?

私も過去、ノウハウコレクターと呼ばれるほどの情報を
入手してきましたが、
今回のご紹介する内容については、間違いないです。
徐々に収入が伸びてきています。

参考までにご確認ください。
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早めに情報収集をして、お金に困らない生活を獲得しましょう。
決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。