夢への軌跡_やっぱり、アウトサイドイン

20161112_やっぱり、アウトサイドイン

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【やっぱり、アウトサイドイン】

おはようございます。

昨日は一日中会議で、凄く疲れた日でした。
X-Dayとはまさしくこのことで、
何も変化のない人もいれば、
異動と言う名のもとに、単身赴任を選択する人もいます。

そのような人間模様を目の当たりにし、
『ふーん、本当にこれで良いの?』
と思ったので、伝えます。

今日のお題は、【やっぱり、アウトサイドイン】です。
誰もが立場が上位に立つと、その権力を振りかざすことがあります。
ちょっと、誤解が生じている状態ですね。

外から中へ、変えようとする強引な力が発生します。
しかし、相手は人の場合、どうしても理解できず、
『抑止力』が発生します。

これが常なのですが、どうも残念ながら、
私のチームの上司である営業部長さんは理解しておらず、
全部を自分ので決めようとするタイプです。(笑)

たまたま上手くいったことを、成功法則と勘違いしているようです。
そして、新たに同じことを繰り返す人ですね。

大きな組織変更には、しっかりとした説明が必要になります。
1.会社のビジョン
2.組織変更の理由と目標
3.協力してほしいという依頼

もちろん、それぞれが痛みを伴う改革となるので
ある程度の譲歩は必要にはなるのですが、
今日のプレゼンは部長さんの失態を招き、
40人近くいる営業担当者からの怒涛の非難となりました。

『途中で忠告したのに聞かないからだよ。』
と私は言いたかったのですが、
分けのわからない、スライドを表示し、
それが、また字が小さくて見えないから
余計批判を浴び、ストーリーがしっかりと展開できていないから
全くもって納得できず、更に、質問を受け付けずという状況でした。

20161112_kaigi

『あーあ、残念』と言わざるを得ませんでした。
全国から集まってきた40人の人たちは、
どのように感じて家路についたのか?
想像できないほどです。

昨日も申し上げましたが、
『伝えると伝わるは異なります。』
自分がやりたいことをの共感を得たいのであれば、
しっかりと伝わるように説明しないといけませんね。

反面教師を見たような一日でした。

私は個人的に部長の前に社長が方針演説をするべきだと思ったのですが、
後ろの席で、腕を組んでみていました。
これも問題ですね。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。