夢への軌跡_親孝行

20160717_親孝行



【親孝行】


おはようございます。


今日のお題は【親孝行】です。


幸い、我が家の双方の両親は健在です。

私の両親は茨城県にて、

妻の両親は、我が家から車で10分ほどの

ところに住んでおり、元気バリバリです。


16日(土)は、たまたま、娘は学校に

妻と私は家でお留守番でした。


学校に迎えに行く都合があったので、

妻の母に、『一緒に行きますか?』

と問いかけたところ、

「行く」とのこと。


11時半ころ、妻の実家を後にし、東京への向かいました。

途中、色々、話をし、

日ごろのストレス発散をしてもらい、

娘をピックアップ、そして昼食となりました。


昼食場所は、もちろん、年配者の集う

<巣鴨>です。



食事後、高台寺にてお参りと

<とげぬき地蔵>で

快癒を祈願して、あとはウロウロ。


これが、義母には楽しいらしく、

3時間くらい、歩行者天国となっている

商店街をうろつきました。


もちろん、荷物持ちは私であり、

妻も娘も義母と一緒に買い物。

更に、もちろん、お財布は義母。


感謝感謝です。


≪親孝行、したいときには親はなし≫

とはいうものの、

『我が家にはないな』

と感じつつ、我が母親のように接している

自分の姿に酔いしれる、私、福山 紫生です。


私の実家にも年に数回訪問しますが、

親孝行については、ほぼ、行っていると感じています。

あくまでも自己満足ですが。。。


『こんな土曜日も良いなぁ』と思いつつ、

巣鴨を後にしました。



もちろん、車なので、車中で

運転手である私以外は、皆さん爆睡です。(笑)




幸せを少し感じる、夏の土曜日でした。



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。