夢への軌跡_製品の寿命とは・・・

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【製品の寿命とは・・・】

おはようございます。

昨日は八戸出発で、自宅まで戻ってきました。
雪には合わず、所々で雨でしたので
比較的順調な復路となりました。

画像は八戸の雪と青空と紅葉です。
赤と白のコントラストに惹かれて
思わず止まって写真撮影をなりました。
ホッとした瞬間でした。
後は、ひたすら走りました。(笑)

20161111_hachinohe

途中、福島でお仕事でしたので
休憩も兼ねて説明を行ってきました。

さて、今日のお題は、【製品の寿命とは・・・】です。
製品にはライフサイクルがあります。
導入期、成長期、成熟期、衰退期と4つのステージがあり、
それぞれ、どのステージかによって
営業活動が異なるのも事実です。

価格面でも成熟期からは安くなる一方で
単価が下がる分、数量でカバーするという現象が発生します。

私が取り扱う製品も日本で販売されて、
早30年を迎えようとしているので
もうなかなか、高い金額では販売できず、
自分の価値を+αしても、
競合に負けてしまうこともしばしばあります。
既に衰退期と化してしまっています。

そんな状況の中、医療現場においては
やはり、非常に保守的であり、
いくら価格が安かろうと、いくら性能が良かろうと
なかなか、製品切替に話が進まないことが多くあります。

もちろん、主役は患者さんなので
そのケアをする医療従事者の方が
しっかりと理解するまでメーカーとしては
説明責任が生じます。

それをカバーするのが、
1発注単位に必ず付随している
『添付文書』という書類で、
俗にいう取扱説明書のようなものです。
インターネットで簡単に見ることができます。

2006年から開始されたこのシステムは
当時の厚生労働省が逸脱した使い方を行う医療機関に対し
注意勧告を行ったことが発端となります。

添付文書は医療機関の安全管理室に
必ず保管される必要性があり、
改訂時にはメーカーが改訂個所を
説明する義務を必要とします。

そのような重要な役割を担う『添付文書』ですが、
内容に明記されていることを、知らぬ間に現場では
変更してしまい、トラブルを生じることがあります。

今日もその現場に遭遇しました。
本来、毎日交換でなければならない製品を
2日で交換したので、i-padで内容を確認し、
詳細を伝えました。

医療機関側の担当者は、まさしく、「目から点」状態で
原因追及しましたが、
いつのまにか、現場で変更されていたというのが
本当のところのようです。

何も起こらなかったから、良かったものの
これで、患者さんに健康被害が発生したら
その医療機関は全責任を負うこととなります。

非常にシビアな問題ですね。
製品が成熟期を迎えたからと言って
詳細まで理解している医療機関のスタッフは少なく
年に数回、メーカーからの説明を受けてもらえるよう
お願いしました。

まだまだ、私のお仕事は、探せばたくさんありそうです。
「伝える」ということと『伝わる』ということの
違いを実感した一日でした。

例え、製品が衰退期に陥ったとしても。。。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。