夢への軌跡_インターネット収入を獲得するために

20161106_インターネット収入を獲得するために

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【インターネット収入を獲得するために】

こんばんは。
今日は大忙しの1日が終了したので備忘録のための報告です。
午前中は、午後からの試験のための勉強をし、
午後から受験、そして、自宅に戻って
松戸から仙台へ移動しました。
走行距離は約380キロ。
ノンストップで約4時間ですね。
慣れたものだなぁと我ながら感じました。

さて、お題は、【インターネット収入を獲得するために】です。
会社員であり、お父さんである私は、
次のステップをいろいろと模索して、収入源を考えています。

しかしながら、個人での活動には限界があり、
なかなか、前に進むことができませんでした。
さまざまな人に教えを請い、いろいろ試してみましたが、
「何がいけないのか?」と自問自答する日が続きました。

今回、あるグループに属することにより、
いろいろな情報が入ってきました。

20161106_guru-pu

まずは、無料からスタートで
ある程度知識を習得して、実践して
お手伝いもいただき、成果を上げることができました。

やはり、グループの力は大きいですね。
長い暗闇のトンネルから一筋の光が見えてきたみたいです。

もしも、私と同じような境遇の方には、
是非、ご紹介したいので、お試しください。
一人でのビジネスは、出来なくはないですが、
非常に長い道のりが必要になります。

私のような二の舞をしないためにも
何か収入源を考えている方は、お試しください。

時間は限られていますね。
https://fukuyama-syo.com/pdvv

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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二つ目の収入源を探してみましょう。
まずは、無料からスタート
https://fukuyama-syo.com/pdvv
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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。
自分自身の可能性は無限大です。
⇒ https://fukuyama-syo.com/60bt
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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。