夢への軌跡_アウトサイドインの組織改革

20161106_アウトサイドインの組織改革

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【アウトサイドインの組織改革】

おはようございます。

今日は、漢字検定3級の受験日です。
中学卒業程度と馬鹿にしていたら、
娘に馬鹿にされました。(笑)

結構、難しいですね。
合格点は7割なので、いつも通りなら
大丈夫、合格なのですが、
世の中、何が起こるかわからないので
気を引き締めて午前中は、勉強します。

さて、今日のお題は、
【アウトサイドインの組織改革】です。
過去の投稿で【アウトサイドイン】については
述べていますが、
まぁまぁ、良くある【組織改革】です。

というよりも、異動の時期ですね。
外資系企業は、1月が期初で12月が期末の場合が多く、
この時期は売上を気にするマネジャーさん達と
営業担当者が頭をひねりまくるのです。

ひねっても【みずもの】なので
出てこない売上は出てこないのですけど・・・

その期末時期には、【異動】が絡みます。
今回は大幅に変更するそうで、マネジャーさんも
四苦八苦しているようです。

内容はまだ、明らかではないですが、
大凡、検討がつくので、『〇がここで、△があっちで』
というような会話が目に浮かびます。

これが、問題の発端なのですが、
異動ともなると、動かされる方はたまったものではありませんね。
特に転勤を伴う人は。

私の場合、想像では、『エリアが狭くなる』と考えています。
今の担当エリアが大きすぎる、広すぎる、移動時間が長いという
言葉がぴったりなので、もう少し何とかしてほしいとは
常々、伝えています。

しかし、そもそも論から言うと、
組織を変えて活性化を図ろうとしても
『偶然以上の確率で成功したことはない』
という伝説があるくらいなので
コンサルティング業界では、
知る人ぞ知るという内容となります。

必ず、該当する人達からの【抑止力】が発生します。

【アウトサイドイン】では、中から発生する力によって
物事が前に進まないという状態になります。

本来あるべき姿は、【インサイドアウト】であり、
その延長上に【エンパワーメント】が表れるわけです。
あくまでも、【信頼関係】がないと【不信感】から
【抵抗勢力】が発生してしまいます。

さて、発表と同時にどのような動きになるか
私も、楽しみです。
私も、エリアが小さくはなりますが、
恐らく、何らかの【抑止力】を発生させるのではないか
と予想しています。

企業としては、結局、
『ブレーキを踏んだまま、アクセル全開』という状況に
なるのでしょうね。

20161106_akuseruzenkai

私が属している企業でありながら、残念だなぁと
思う今日この頃です。

結果は、またの機会にお伝えいたします。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。