夢への軌跡_不具合の考え方について

20161103_不具合の考え方について

【不具合の考え方について】

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おはようございます。

今日はお休みですね。文化の日です。
昨日は千葉県と東京都を行ったり来たりの営業活動で
距離は350キロ。
長い一日でした。
350キロと言えば、仙台までの距離と同じです。
関東も広いですね。
でも分刻みの営業でした。しんどかった。(本音)

さて、今日のお題は
【不具合の考え方について】です。

製造業には、必ずついて回る【不具合】ですが、
営業的には、別名【クレーム】とも呼ばれます。

20161103_kure-mu

例えば、100円ショップの製品が不具合を起こし、
破損してしまったら、
恐らく大半の人は、「100円だから・・・」
となるでしょうね。

特別、販売店に連絡をするわけでもなく、
「まぁ、いいか」と自分自身に納得させることとなります。

仮に5万円もするBOSEのヘッドホンだとしたら、
間違いなく、電話をしていますよね。
(因みにBOSEの場合は、顧客責任の寿命による不具合も
半額の支払いで新しい製品と交換してもらえます。(笑))
自社製品に自信がある場合、営業活動も活発になり、
製品の良さが後押ししてくれるようなことになります。

では、医療機器では、どのように感じるでしょうか?
もちろん、この業界の製品も不具合はゼロにはなりません。
あくまでも工業製品なので、ゼロに近づけていますが、
「ゼロにはならない」という現実が待っています。

例えば、人工心臓弁のような非常に高度な技術を要する製品は、
少しでも異様な状況になると『リコール』となります。
医療機器には、クラス分けされていて、
クラス1から4まで分かれています。
それぞれ特徴があるのですが、
人体に埋め込む(インプラント)製品は、クラス4となり、
管理医療機器の中でも重要度および危険度が高くなります。

あいまいなクラス分けのクラス1や2の製品は
不具合が生じても、それほど、大きく取り上げられることはなく
多発した場合には、もちろん、『リコール』となりますが、
病院からの問い合わせもそれほど、多くはありません。

しかし、生命維持装置などに接続される製品は、
やはり、重要度が高く、病院からの問い合わせが多くなります。
例え、1件であっても。。。

その際、原因追及をして、再発しないことが製造元としては
望ましいのですが、企業によって考え方は分かれます。

1.「不具合一件だから、もう少し様子を見よう」
2.「不具合一件だけど、原因追及して、
再発(多発)しないようにしよう」

どちらも正解なのですが、
様子を見過ぎてしまい、
過去に『リコール』を招いたこともありました。

また、原因追及している間に『リコール』を
宣言せざるを得ないこともありました。

医療機器の場合、
非常に難しい判断が要求されることは事実です。
しかし、体質的に常に1の対応をする企業もあります。

そして、多発した際には、
取り返しのつかない汚点を残すこともあります。
個人的には、【2を迅速に行うべきである】と考えています。

その個人差が、企業内での温度差となります。
私は、営業であり、品質保証ではありませんが、
自分の家族が患者であった場合、
『その製品を使うことが自信をもって正しい』
と言いたいと考えています。

その温度差(内勤と外勤の意識の差)を埋めないと
『顧客満足度は追及できないのではないか』
と常に考えて、移動しています。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。