夢への軌跡_大企業病とは・・・

20161102_大企業病とは・・・

【大企業病とは・・・】

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おはようございます。

今日は自宅からです。
千葉に戻ってきました。

昨日、仙台から東京へとんぼ返りして、
どなたも知っている大企業へ訪問し
商談をしてきました。

「どうしてもこの日じゃないとダメ」という
先方の言い分に合わせて、訪問しました。
私としては、東北出張をとんぼ返りするのは
少し、もったいない気がしたのですが、
『お客様は神様です。』ので
仕方ありません。
そこで、相手方3名とこちら側2名で開始しました。

さて、今日のお題は【大企業病とは・・・】です。
御多分に漏れず、弊社も米国本社の大企業です。
日本では「ちっちゃ。名前も知らないわ。」という
人が多いと思います。

そんな、日本ではちっちゃい企業でも
日本の大企業に相談を持ち掛けました。
内容的に言うと、『不具合がその企業のあちらこちらの
部署から届くので意味合いを説明してほしい。』
ということであったのですが、
案の定、中の人にもわからないということが発覚し、
お客様の大企業のマニュアルを確認しました。

はっきり言って、凄い【セクショナリズム】でした。
物流関連に至っては、入荷の管理は〇〇、
製品出荷後の担当は△△という部署の管轄になるので
△△部署からの不具合については、
「メーカー責ではない」ということでした。

ましてや、面談者3人は、それぞれ、違う部署であり、
3人の話をつなげないと、モノの流れがわからないという
状況でした。

ちっちゃい企業である弊社も
米国に行ってしまうと、何を扱っているのかが
わからないという状況になり、
誰が窓口なのかは意味不明ということもしばしば。

『これって、本当に顧客目線なの?』って
思わず、問い合わせてしまったくらいでした。
これも一つの大企業病ですね。

20161102_daikigyou

 

隣の人が何をやっているか、わからないという
自分の仕事だけ終わらせれば、それでOKという感覚が
生まれてしまうのも致し方ないと感じました。

私は営業である以上、顧客目線で話をしていくことを
念頭に置いていますが、
社内で会議をすると、株主目線の管理職の方が多く
閉口することもあります。

ビジネスとしての成長は大事ですけど、
ムリ・ムダ・ムラのある組織には
『・・・』となりますね。

このような現状を打破して、
前に進みたいと思いました。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。