夢への軌跡_頑張りすぎはがんになる

20161027_頑張りすぎはがんになる

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【頑張りすぎはがんになる】

おはようございます。

今日はお休み(代休)の予定が
どうしても外せないとの取引先からの電話で
11時の東京でのアポに動きます。

これで、15連荘という過酷なスケジュールをこなしています。
このスケジュールも自らが招いた結果であり、
誰の責任でもないので、致し方なしですね。

そもそも、健康診断(出勤扱い)にて胃カメラで
鎮静剤を打たれたことから、体調がダウンとなってしまいました。
その後、出張での受動喫煙から風邪っぴきとなり、
加湿療法でとりあえず、声が出るようになり、
昨日のプレゼンをこなしてきました。

『精神年齢でスケジュールを組んではダメ』ということが
身に染みてわかってしまう年齢となりました。

とは言え、見た目30代の私は、
どうしても、そのころの勢いを追い続けてしまう
昭和のタフマンやリゲインの影響が大きいオヤジです。(笑)

そこで、移動中に斉藤一人さんの講演を聴講していました。
ちょっとしたリラックスタイムですね。

さて、お題は、【頑固者と頑張り屋はがんになる】です。
そもそも、【癌】と【がん】は異なります。
漢字の【癌】は上皮性の悪性腫瘍を指します。
ひらがなの【がん】は悪性腫瘍全般を指します。

したがって、血液のがんと言われる【白血病】や【悪性リンパ腫】は
漢字の【癌】には該当しないのですね。
また、【肉腫】や【脳腫瘍】なども上皮性ではないので
漢字の【癌】には該当しません。

一人さんのコメントでは、
【頑固者と頑張り屋はがんになる】と言っています。
【がん】の漢字が異なるような気がするのですが、
頑固な人も頑張り屋さんもほどほどということがないために
病気になりやすいということでしょうね。

正しく、自分に当てはまります。(笑)
健康診断での結果が怖い気もしますが、
『まだ、死ねない』ので努力あるのみです。

20161027_gan

 

今日は午後から休憩(さぼり)かもしれませんね。(笑)
直行直帰の営業マンの特権ですね。
おーーと、会社には怒られるので、ご内密に。。。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。