夢への軌跡_体力回復のために

20161026_体力回復のために

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【体力回復のために】

おはようございます。

今朝は千葉の自宅まで戻ってきました。
昨日は400キロの走行距離、
『まぁ、大したことないか!』
と車を降りました。

そろそろ、オイル交換の時期のようです。
プリウスは10,000キロでオイル交換なので
経済的と言えば、その通りかもしれません。

さて、タバコから風邪をひき
調子が悪かった私も、だいぶ回復してきました。

昨晩、仙台のホテルで下記のように設定しました。
・暖房なし
・加湿器2個
・相対湿度80%

20161026_shitudo80
日本人には馴染みのある梅雨時の気候ですね。
おまけにマウスピースにマスク着用という重装備でした。

ホテルの方にはごめんなさい。
結露が凄すぎて掃除が大変だと思いますが、
顧客の体力回復のため、ご容赦ください。

加温と加湿の話を少し披露します。
人間の体は常温の空気を吸っても
肺の奥深くまで届くときには、
37度、44㎎/ℓ、100%という湿ったガスに
鼻や気道で加温加湿して届けます。

この100%(相対湿度)というのがわかりにくいのですが、
温度が上昇すると空気の飽和水蒸気量が多くなります。
従い、39度、51㎎/ℓ、100%となるんです。

ちょっと難しいですが、
冬の窓を見ていただければわかります。
窓の内側に結露ができるのは
部屋の中の温度は高くて外が低いから
窓際の空気が冷やされて、温度が下がり、
飽和水蒸気量が減ってしまうので
余った水蒸気が結露となって現れます。

まぁ、得意分野なので、
しっかりと看護師さんにもお伝えしています。(笑)

そのような湿ったガスを人間は必要とするため
環境に付加すると、体内での加温加湿の量が減ります。
『少しは、体力的に楽になるかも?』ということで
ホテル側には申し訳ないのですが、
加湿器2個を設置して、一晩過ごしました。

朝、起きて、『だいぶ良くなったかな』と感じたので
効果は絶大でした。
感謝です。

しかしながら、一日、仕事をして、
我が家に戻ってくると、やはり、『まだ、おかしい』となり、
過労気味であることを痛感しました。

明日で連続14日勤務となります。
11月は秋休みかなぁと考えています。
代休が4日もあるなんて、うれしいなぁと思う
今日この頃です。

さぁ、今日も一日、頑張っていきましょう。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。