夢への軌跡_プレゼンテーションは一体感に意義あり

20161023_プレゼンテーションは一体感に意義あり

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【プレゼンテーションは一体感に意義あり】

おはようございます。

今朝も名古屋です。
昨日、今日と終日缶詰です。
講習を受けているので、ほぼほぼ受け身の状態です。
ラッキーなことに友人が参加しており、
休憩時間には、楽しみがありました。

20161023_nagoya

この講習については、
参加することに意義があるのですが、
9時30分から17時まで、講義が一方的に行われます。
中には演者で長けている人もおり、
会場との会話となる場合もありますが、
なかなか、そのような機会は多くなく、
面白味がかけています。

そんな中、私は、このような状況を半ば
理解していたため、
作業を持ち込んでいました。
パソコンを講義中に開けることは目立つので
そこまではできませんが、
ノートと問題集でぎっちり、
ペンだこができるほどの練習量です。(笑)
でもパソコンは持ち込んでいます。

さぁ、『私は何をしていたでしょう?』
11月6日(日)に行われる漢字検定の準備です。(笑)

さて、ここでお題の
【プレゼンテーションは一体感に意義あり】です。

私も仕事柄、人前で話すことが多く、
それも、相手は医師や看護師であり、
専門分野の領域となります。

その専門家集団にどのように説明すると
『短時間で印象深い説明が行えるのか?』と
常に考え、プレゼンを行っています。

要は、参加している人との一体感ですね。
一方的に説明する場合は
相手が聞き耳を立てていれば、
習得してもらえるとは思いますが、
「上司からの指示で出席しなければいけない。」
という状況下では、
「早く終わらないかなぁ」という気持ちが
先走ります。

正しく、昨日と今日の私です。(笑)

それを、この時間を大事にして、
参加している人にメリットのあるような説明を行い、
『巻き込む』ということを目的としています。

一昨日の金曜日お昼に、重要顧客のある一つの場所で
説明会の依頼があり、
「12時30分開始30分で終わらせよ」という指示で
開始しました。

幸い、参加者は10名、偉い人も含めて。
病院に出入りしている業者さん(Tさん)と一緒に行いました。

もちろん、Tさんはそこにいるだけです。
ちょっと、雑用の手伝いをしてもらいました。
結果、偉い人から「福山さん、ありがとう。来週もね。」
と最後に声をかけられ、
『ありがとうございます。また、来ます。』
と言って、そこを後にしました。

その偉い人、参加当初は、
『凄い怖い顔しているなぁ。』
と、私が思うほどでした。

Tさんがエレベータの中で、
「福山さん、さすがですね。
きっちり30分で終われせましたね。
偉い人も満足感があったようですね。
私も一緒に居て、安心感がありましたよ。」
とのこと。

私のプレゼンは、的を得て、要望通りの説明を行い、
顧客に満足感を与えているようでした。
30分の中には、笑いあり、状況説明あり、
そして、重要事項を確実に伝えています。

『巻き込む』ということを意識しているのです。
一体感を感じることができれば、
顧客満足度も上がるのでしょうね。

そんな状況からの翌日土曜日の講義であったので
『あー、残念。私ならこうできるのに。。。』と
思いつつも、漢字検定の練習に勤しんでいました。(笑)

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。