夢への軌跡_反面教師

20160716_反面教師



【反面教師】


おはようございます。


今日のお題は【反面教師】です。


ご存知の通り、私、福山 紫生(Syo Fukuyama)は

糖質制限中であり、糖尿病患者です。


これは、嘘偽りないことなので、

事実のみ申し上げます。


過去、半年、糖質制限により

体重を10㎏減量し、HbA1cも正常値に戻り、

糖尿人として快適な生活を送っております。


先日、【出る杭は打たれる】で投稿した通り、

営業成績優秀、顧客の心をつかむ営業を行っている

私、福山 紫生(Syo Fukuyama)は、

はっきり申し上げて、出ております。(笑)


【出る杭は打たれる】の投稿はこちらです。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12178737977.html


出る杭としては、ちょっと疑問に思った

事象がありましたので、ここに投稿し、

反面教師として心に刻みたいと思います。


さて、本題です。


我が上司より、昨日、

「福山さん、痩せたね。」

『はい、糖質制限中ですから。』

「何かあったの?」

『ドクターストップで。。。』

「糖尿?」

『・・・』


私、福山は、他人に糖尿病という言葉を

口にしてほしくなかったのですね。

どうしても、プライドがあって。(笑)


その後、後輩より、

「福山さん 痩せましたね。」

『でしょ?10㎏かなぁ。』

「もっと、痩せるんですか?」

『結婚式当時と同じ体重に戻したいんだよね。』

「なんで、痩せようと思ったんですか?」

『ドクターストップがかかってね。』

寸暇なく、隣にいた我が上司、

≪糖尿だよ、糖尿、ダイアビーティーズ≫

と路上で叫びました。


その場を収め、出張中であったので

即座にホテルに戻りました。


これは、報復か?

何の報復?

私は悪いことはしていないよね?

出る杭なだけだよね?

と自問自答し、

【出る杭は打たれる】で気持ち的に一件落着しました。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12178737977.html

まさか、出張先の名古屋の路上で

私、福山が糖尿病と叫ばれても、

だれもご存じないと思いますが、

個人的にはちょっと衝撃を受けたので、

【反面教師】として捉えることとします。



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

――――――――――――――――

【即金を得るために】

先行無料体験モニター応募ページです。

⇒ https://fukuyama-syo.com/9nb2

――――――――――――――――

【10年後も継続できる仕事】

登録して情報を得てください。

⇒ https://fukuyama-syo.com/j1cw

――――――――――――――――

今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


*****************************************


Facebookもやっています。

お気軽に友達リクエストをお待ちしております。

https://www.facebook.com/fukuyamashow

ホームページ準備中です。

https://fukuyama-syo.com/

ブログランキングを始めました。

よろしければ、応援をお願いいたします。

http://blog.with2.net/link.php?1840281


*****************************************





福山 紫生(Syo Fukuyama)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。