夢への軌跡_価値観の優先順位が変わる

20161022_価値観の優先順位が変わる

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【価値観の優先順位が変わる】

おはようございます。

今朝は名古屋です。
今日は講習を受けるため、一日缶詰となります。
明日もかも?

昨晩、移動してきました名古屋へ。
中国地方の地震の影響で満席でした。
幸い、ネット予約をしていたので
いち早く、通路側をゲットして、
i-padで仕事をしていました。

3列の真ん中席でお仕事をする女性がいて
ワードで文書作成をしていました。
金曜日の夜でも日本人は働きますね。
しかし、ビール片手に座席を間違えるお父さんも居て
なぜか、平和な風景を見ていました。(笑)

さて、今日のお題は、
【価値観の優先順位が変わる】です。

この投稿を初めて早半年が経過しました。
当時の価値観は、報酬、評価、家族という順番の私でした。
この順番で物事を考え、
優先順位を決定するというある意味、バックグラウンドでした。

それが、ここ最近、自分の中に変化が起こり、
順位が大幅に変わってきました。
理由は、車中で一人で勉強する機会が増えていること、
さまざまな方とお話して、考え方に変化があったこと
などによります。

今は、家族、時間、報酬となります。
順位がずいぶん、変化したという気持ちがあります。
というのは、
家族や時間は、お金で買うことができないのですね。

一人の時間も大事ですが、
家族と一緒にいる時間ももっと大事にしなくては
いけないと痛感して、
自分なりの哲学が変化しています。

客観的に自分を見ると非常に面白く、
後輩にそれを伝えると、
「変わりましたね。」とのこと。

20161022_kachikan

自分の有限な命の時間を
カウントダウンしているような気がします。
『残りの20年を有意義に過ごしたい』
という気持ちが強くなったのだと思います。

健康診断でいろいろな病気を持っていることを
伝えられ、考え方の変化に至ったのかもしれませんね。

自分の体を知っているのは自分です。
因みにストレスから、
胃潰瘍瘢痕、十二指腸潰瘍瘢痕という自然治癒した
病名まで伝えられました。

『我慢は大敵』かもしれません。
今後をどのように生きていくかは自分次第ですね。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。